大分移住手帖

窮屈な都会暮らしから、田舎暮らしへ。日出町で実現した理想の日々。

Kg

取材者情報

お名前
赤沼 翼
出身地・前住所
出身地:北海道夕張市
前住所:東京都杉並区
現住所
大分県速見郡日出町
年齢
40歳
家族構成
母親との2人暮らし
職業
会社員

東京でコロナ禍の影響により就業形態が選択できたため、リモートワークをしていたという赤沼さん。会社の方針転換をきっかけに、移住を検討したそうです。そんな彼から、日出町に移住するまでの経緯や現在の暮らし、都会の生活との違いなどをお聞きしたいと考え、ご自宅を訪ねました。

赤沼さんが撮影した東京の夜景

北海道・アメリカ・東京での暮らしを経て日出町へ移住

北海道で生まれ育った赤沼さんに、移住するまでの生い立ちをお聞きしました。

赤沼さん : 小学校・中学校までは生まれ育った夕張市で、高校からは親元を離れ下宿して札幌市で過ごしました。高校卒業後に渡米し、語学学校にて語学の学習後に、大学に入学しましたが、休学などがあり28歳で卒業。その後、帰国し地元で2年間アメリカの大学院進学を目指しましたが夢叶わず、「北海道で埋もれたくない」「都会に出ればできることがあるのでは」という想いを抱き、第2の人生を始めるために上京しました。

当時30歳で社会人経験がないため、上京直後は日払いの仕事や短期の派遣などで生計を立てた後に、複数の会社で正社員として人事系の経験を積み、2021年1月に現在の会社に転職しました。

現在の会社は、仕事とプライベートの両立を図ることができますし、最先端のイノベーティブな働き方を取り入れています。入社時点でコロナ禍だったため、当初から在宅勤務を行い、上長と初めて対面でお会いしたのも入社してから7〜8ヵ月後でした。また、2022年の1月から、日本のどこで仕事してもOKという新たな働き方が導入されたことがきっかけで、次の居住地を探し始めました。

東京での生活に疑問を感じ始めたため、移住を検討したと話す赤沼さん。日出町に移住するまでの経緯をお聞きしました。

赤沼さん : 東京はとても便利な街である分、逆に自分自身にとってはつまらないというか、刺激が強すぎました。北海道で生まれ育ったため、どちらかというと都会的な生活よりも自然豊かな地域でのんびりと生活がしたいと感じました。キャリアを積んできた結果、東京ではやりきった感もありました。もちろん、北海道へのUターンも検討しましたが、雪のないところでの生活を経た後では雪のある生活に戻れないと感じたので、真逆の「南側が良いのではないか?」と模索しました。当時は大分県どころか九州へ足を運んだことがありませんでした。

2022年4月頃にリフレッシュのため温泉で癒されようと別府市に旅行したのですが、肌がツルツルになるなど効能を実感し、スパというイメージを持ちました。他にも、海も山もあり、食べ物は美味しい、スーパーにある農家直売の新鮮で安い野菜に衝撃を受けるなど、色々なことに魅力を感じて大分県への移住を決断しました。

5月〜6月の間に、東京で同居していた母と北海道在住の祖母の3人での移住を想定して、別府市内で物件を探していましたが、部屋が狭い・道は上り坂が多いなどで条件に合う物件が見つからず、近隣の市町村まで範囲を広げて探し始めました。そんな中、大分空港からバスで移動した際に、途中にある日出町を窓から見て興味を持ち、地元の不動産で築浅・3LDKの戸建賃貸物件を見つけ、オンラインで内見しました。

物件の周囲を調べたところ、別府湾沿いにある遊歩道まで近く、JRの駅まで徒歩5分、別府まで車で30分・電車だと10分程、大分空港へのアクセスが良い、スーパーがたくさんあり公民館に近いなど、生活環境が揃っていて祖母も出かけやすい環境という点や、知人が日出町にUターンしたばかりだったので、即断して7月に賃貸契約を結びました。祖母はやはり北海道に残りたいとのことでしたので、物件を探し始めて9月に母と私で引越しました。

縁もゆかりもない街なので不安はあるものの、これまでも行き当たりばったりのことが多い人生だったので、逆にどのような生活が待っているのか楽しみだったと話す赤沼さん。移住の際にお世話になった方や利用した制度などについてお聞きしました。

赤沼さん : 日出町役場の移住担当者に、移住に関してのサポートや制度などをご紹介いただき大変お世話になりました。利用した制度は日出町移住応援給付金ひじ暮らし体験宿泊補助金です。

赤沼さんのリモートワーク環境

ワークスタイルについて

東京で暮らしていた頃からリモートワークで勤務してきた赤沼さん。日出町に移住後も仕事上では特に変わりがないそうです。

赤沼さん : 仕事は移住前から在宅勤務をしていたため、特段違いはありませんでした。僕や上長は日本にいますが、チーム自体は海外(イギリスのチーム)に属しており、基本的にはオンラインでの会議となるため、入社時から移住後に至るまで、ワークスタイルに大きな変化はありません。

強いて言えば、週末に東京からの転居、翌週の月曜から日出町で仕事をスタートというタイトなスケジュールで引越したため、移住後すぐに生活・仕事の環境を整える必要があり、その点は大変でした(笑)。

綺麗に整理整頓されたご自宅のリビングルーム

自然豊かで利便性が高い住まい

海と山に囲まれた環境でありながら、スーパーや公園、公民館などが近く生活しやすい場所にあるご自宅について、赤沼さんにお聞きしました。

赤沼さん : 築5年ほどの綺麗な家で、満足しています。東京で生活していた1LDK+ロフトの物件と比べると、半分の賃料で、居住空間の広さは倍以上ですので、クオリティ オブ ライフが向上しました。

住居に関しては空き家バンクの利用も検討しましたが、当時は車を所有していなかったですし、引越しまでに1週間ほどしか期間が取れなかったことや、母や祖母のことなども考えて断念しました。

東京で暮らしていた頃は、朝のテレビ番組のルーティーンが決まっていたのですが、大分県はテレビ局が3チャンネルしかなくて見られない番組があることは衝撃でした(笑)。

近隣には公園などが揃っていて暮らしやすい

日出町での暮らし

日出町は自然が豊かで、地物野菜や新鮮なお肉や魚がすぐに手に入るというところに魅力を感じると話す赤沼さんに、現在の暮らしについてお聞きしました。

赤沼さん : 元々北海道夕張市という田舎に住んでいたので、比較的すんなりと今の生活を受け入れることができたと思います。全てが揃う東京と比較すると、今の生活は便利とは言えないですが、自分らしいのんびりとした生活を送ることができているのかなと感じています。東京では「電車がややこしい」「人が多い」などの理由で避けていた母の外出も増えました。

毎朝の日課で1時間ほど別府湾沿いをランニングする、趣味の料理を活かして週末は手の込んだメニューを作って知人を招くなどして日々を楽しんでいます。椎茸と鯛については、東京で食べていたものとは味が全く違っていて、こんなにも美味しいと初めて知りました。

また、自宅近くのホテル ソラージュに気軽に温泉に行ける環境になりましたし、少し足を伸ばせば別府市にもたくさんもあるので、温泉を楽しんでいます。

日々の暮らしの中で新しい発見があった一方で、コロナ禍のため難しいと感じることもあるそうです。

僕自身が大分県内で仕事をしているわけではないですし、コロナ禍での移住ということもあり、近隣の方との付き合いや集まりもないため、人とのネットワークを広げることができないことに、悶々としています。そのため、日出町に移住した知人や、パートに出ている母の職場仲間から情報収集しています。屋外イベントが開催される時にはできるだけ参加し、地元や大分県内を知ろうと行動しています。

出身地の北海道夕張市の冬景色

現在の暮らしを気に入ったという赤沼さんに、東京と日出町の暮らしの違いをお聞きしました。

赤沼さん : 特に驚いたのは、子ども達やお年寄りが挨拶や声かけをしてくれることです。よくよく考えてみると挨拶は当たり前のことだと感じるかもしれませんが、東京で挨拶をすると変人扱いされるので、知らない人とは話さないという生活を10年ほど続けてすっかり忘れていました。コミュニケーションなど当たり前のことができる環境は素晴らしいと改めて実感しました。

東京での暮らしは、どこに行ってもたくさんの人がいて、見られている訳ではないですが常に緊張感があり、人に冷たい印象がありました。自宅の窓の目の前が他人の家の玄関など、狭さや息苦しさも感じました。

日出町に移住後は、毎日些細な幸せを感じることがあり、東京で暮らしていた頃よりも人間らしい生活が送れていると思います。都会はどこもかしこもお店があって選択肢が多すぎですし、「高いお金を支払う=美味しいものが食べられる」という感じで、良い意味でも悪い意味でも世の中の世知辛さを教えてくれた気がします。僕は「世の中金じゃない」と考えているので、本当に移住して良かったと思います。

ただ、公共交通機関に関しては都会の方が便利なので、車は早めに手配した方が良いです。私は移住後に車を購入したため3ヶ月ほど電車を利用していましたが、移住後に購入した食器棚などを運ぶのにも苦労しました(笑)

また、スズメバチが多いことに驚きました。移住前に撤去していただきましたが、現在の自宅の2カ所に巣ができていたそうです。都会では見かけなかったヤモリや蜘蛛がたくさんいます。北海道で生活していた頃は、マイマイガをはじめキタキツネ、熊、鹿などがそこら辺にいましたが、そういう生き物とは会うことがないのですし、朝走る際は東京の頃よりも薄着になるなどを通じて、ここは南の暖かい地域だと実感しました。

大分産の食材にこだわった赤沼さんの手料理。器も日田市が名産の小鹿田焼。

移住希望者へアドバイス

日出町で田舎暮らしを満喫している赤沼さんに、今後の目標や夢をお聞きしました。

赤沼さん : いずれは独立し、地域に貢献したいと考えています。料理が好きなので、地元の食材を使ったメニューを提供して、人と人とが直接コミュニケーションを深めることできる集まれる場所を作りたいです。色々な方から「美味しかったです」と言われたいと思います。

東京から日出町への移住を成功させた赤沼さんに、移住を希望する皆さんに向けて、アドバイスをいただきました。

赤沼さん : 人生100年と言われている現代なので、自分が慣れ親しんだ場所で生涯を終えるというのも1つだと思いますし、様々なところで様々な経験をして生涯を終えるのも1つだと思います。

少しでも後者の考えがあるようであれば、まずは移住候補地での暮らしを体験してみるという小さなステップから初めてみてはいかがでしょうか。その小さなステップの積み重ねが大きな1つのステップとなり、その最中に「やはり違うな」と感じるようであれば変えれば良いだけだと思います。人生を満喫するのであれば、回り道をしても間違えても良いと思います。

長い人生、寄り道しながら楽しんでいきましょう。

別府湾から望む海と山に囲まれた日出町

最後に

日出町に移住した後の豊かな暮らしに満足していると話す赤沼さん。彼へのインタビューを通じて、ビジョンや目的を自分の中で明確にした上で、時には勢いに任せて行動することも大切だと感じました。移住を希望する皆さんも、ぜひ最初の小さなステップを積み重ねて、想いを実現してはいかがでしょうか。

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  • 窮屈な都会暮らしから、田舎暮らしへ。日出町で実現した理想の日々。
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WRITER 記事を書いた人

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株式会社モアモスト 取締役・一般社団法人まち元気おおいた 理事・Pdw 代表として、サイト・DTP・DTMなどディレクション〜制作をはじめ、ライターや撮影などの業務に従事。大分市府内5番街商店街振興組合の理事として、まちづくりにも携わる。

SC-RECS.com・クラブイベントインフォ・SCLS・DubRize・PLay・合同写真展などを主宰し、各種イベントのオーガナイズからDJやマシンライブなどまで展開中。テルミン使い。

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