取材者情報
- お名前
- 上西昭子
- 出身地・前住所
- 前住所:福岡県築上町
出身地:大分県大分市
- 現住所
- 中津市耶馬溪町福土
- 年齢
- 60歳
- 家族構成
- 4人
- 職業
- 狩猟・brise de lune・民泊「福来朗」
狩猟者であり、カフェオーナーでもある上西さん。地元にUターンした彼女は、とにかくパワフルで明るく、料理もお裁縫も上手で町には無くてはならないお姉さん的存在。自分の暮らしだけでなく、移住相談や家探し、観光に至るまで、幅広く活躍しています。耶馬溪の町や自然をこの世なく愛する上西さんの移住ストーリーや、移住後の活動についてお聞きしました。
波瀾万丈な青春期。
中津市耶馬溪町で生まれた上西さんは、幼少期に父親の仕事の関係で大分市に引っ越し大分市で育ちました。当時、耶馬溪町福土に住んでいた祖父が元庄屋の家を購入し、上西さんはこの家によく遊びに行っていたそうです。
元気盛りだった上西さんは、オートバイなどを乗り回すほど。やまなみハイウェイでは有名人になるほど、オートバイにのめり込んでいたそうです。
上西さん:女性でオートバイに乗っていること自体が珍しかったこともあり、噂になっていたようです。なかなかヤンチャな乗り方をしてたので、親は心配していたようですが、当時は気にせずとにかく毎日を謳歌していましたね(笑)。
そんな中、時代の流れと近代化に伴い町がどんどん開発される中、祖父が亡くなり、祖母も高齢のため親戚が住みつないでいましたが、祖父の家は空き家になってしまったのだとか。
上西さんはその後離婚と父が他界したことが重なり、母方のご実家がある福岡県築上町へ引っ越すことになり、暫くはそこで暮らすことになりました。
パートナーと一緒に家を引き継ぎ、Uターン。
祖父から父親が家を引き継いでいましたが、父親も亡くなってしまったので、一人っ子であった上西さんが譲り受けることに。改修が必要な箇所がある中、新しいパートナーと歩み始めた頃、この家を守っていくことにしました。
上西さん:愛着はあったし、祖父や父が大切にしてきた想いを引き継ぎたかったんです。一人っ子なので、私以外にはその役目がある人がいないのもあって、決意しました。
福土はとても寒い地域の1つで、断熱や部屋の間取りを変えるなどして、自分たちが心地よく暮らせるように改修を進めたそうです。
上西さん:古民家なので改修にかなりお金はかかりました。棟上げの時の祭壇があったり、使用用途がわからない隠し部屋など、数えきれない空間があって。冬の寒さに耐えるためには色々工夫が必要でした。
民泊「福来朗」を始める
住まいを整えた後、ここでの生業を考えた上西さん。料理が得意なので飲食業を行おうと思っていましたが、何を売りにお客様を呼ぼうか悩んでいました。蛍も多く、星空も多いこの環境でおもてなしがしたいと思っていたところ、ある日遊びに来た友人が、食事の後にいる部屋の居心地が良いので泊まっていくことになり、周りの自然に驚く子どもたちの様子をみていて、“民泊”をしたらおもてなしが出来るのかも!と考え、2018年に民泊「福来朗」を開業しました。
上西さん:当時役場にいた担当が海外経験が豊富で、その方が民泊事業をオススメしてくれたんです。インバウンド向けにやりたかったようで、日本式の気軽な宿として民泊が良いと。フランスと台湾が最初のトライアルとして名乗りをあげてくれて、プレ営業をしました。その一番最初のお客様がフランス人だったんです。その後もニューカレドニアや台湾などいろんな国から来てもらいました。その後、個人的に来てくれる方が増えて、今に至ります。
民泊をする上で、風呂は課題がありました。風呂があると、お客様が重なった時、組に合わせて毎回水を抜き新しく入れる必要があるので、近くの温泉を利用してもらう想定でしたが、車を持っていないお客様が多くいたので、結果的に風呂を作ったのだとか。
上西さん:他の活動との兼ね合いで専業にはできなかったので、主に週末だけの営業で始めました。宣伝は観光協会のwebサイトにあげてもらっているだけですが、紹介だけで今は集客しています。いろんな方々と出会えるのでとても楽しいです。
雛祭りなど地域行事には積極的に取り組む。
母親の影響で料理がとても上手だった上西さんは、特技を活かしつつ、旅の中継地点として自分の暮らす町に立ち寄って欲しいと、民泊や喫茶をやりつつ、地域の行事にも積極的に取り組みました。その1つが「雛祭り」です。福土や周辺集落で長年行われてきた活動を手伝いつつ、いつしか自分が主催になっていくほどに。
上西さん:地域の活動には積極的に参加したりお手伝いしたりしてきました。やる度に周辺に飲食店が無く、私が料理が得意なのもあって、イベントの時は賄いやまとまった食事を用意する担当になりました。気づけば家が喫茶店のようになっていたんです。リフォームする時にピザ窯は作って飲食許可が取れるようにしてあったので、不定期でピザを焼いていたのですが、そのままカフェのようになっていきました。
念願のカフェをオープン。
会社員でもあり、狩猟者でもあるパートナーに習って自身も狩猟を学びながら、より料理への情熱が高まっていった上西さんは、たまたま近くに築55年の古民家が空き家として出たのでこれを購入。リノベーションをして念願のカフェ「brise de lune(ブリーズ・ドゥ・ルンヌ)」を2018年にオープンしました。
上西さん:雛祭りの時だけランチ営業をしていたのですが、期間外にも問い合わせが増えたんです。民泊の方は家でもあり生活感があるので、先に購入していた空き家を使ってカフェを作ることにしました。南フランスの片田舎にあるような雰囲気にしたくて、全体をレトロな雰囲気で統一しています。中津市で活躍する建築会社「株式会社アッド・エヌ」の力を借りつつ、最後は天井を自分たちで塗装したりして、完成しました。
このカフェでは、縁のある作家の雑貨や、同じ中津市内で活動する生産者の商品などを取り扱っていて、食事にはこだわりの素材が使われています。また、長年の活動で繋がった方々と共に、マルシェなどを行うなど、いつ行っても何か楽しいことが起こっている、そんな場所になっています。
上西さん:2021年に行った「aid stock bazaar」には田舎町に2日間で3000人が来てくれました。カフェの軒先で行ったマルシェが好評で、2023年は4月に「碧の風の町 vol.1」として少し範囲を広げて耶馬溪を横で繋ぐ企画を仲間達と企てています。遠くはフランスに仲間がいて、耶馬溪町を愛してくれていて。近年は若者の移住が増えてきたので、家探しや仕事探しを仲間達を頼って一緒に探したりしてますね。
そんな上西さんのところに、空き家や仕事の情報がいつの間にか集まるようになったのは、日々の活動が町にいる老若男女の信頼に繋がり、彼女だからこそ出来る縁繋ぎのお陰です。
みんなで楽しく暮らしていくために役割を担う
上西さんの日頃の活動が評価され、観光協会理事に任命され、積極的に町の観光事業に関する会議にも参加。近くの地域である平田地域では「平田邸保存会」に所属し、積極的に町の活性化に勤しんでいます。
上西さん:みんなで楽しく暮らせていければそれでいいんです。その為に私が担える役割は遠慮せず担ってます。私はまだまだ動けるので!どの地域も高齢化が進んでいるのは事実です。そのため、まだまだ使える素敵な古民家がどんどん廃墟になってしまっています。良いものがただ壊されて無くなっていくのは切なくて。使わなければ朽ちてしまう。せめて活用出来るようにイベントなどを積極的にしながら活用していれば、都会も田舎も関係なく楽しく暮らせる場づくりにつながると思っています。私が昔住んでいた大分市は、今では知らない景色ばかりになってしまいました。田舎でカッコ良く暮らしたいんです。鳥の声で季節を感じられて、良い生産者の食材でご飯が作れるのって豊かじゃないですか。でも今の若者の中には、古民家で暮らしたいという人が増えつつあります。そのマッチングを行政だけに頼るのには限界があります。私たち市民がまず動いて、行政ともタッグを組んでみんなで暮らしやすくしていきたいです。
最後に
波瀾万丈な青春期を経てUターンし、自分の暮らす町を自らの手で住み心地よくしていこうと邁進している上西さん。力強さと大胆さもありながら、いつも笑顔で誰よりも積極的に行動することで、町の多くの方々から信頼を置かれている頼れるお姉さん。紆余曲折した過去があるからこそ「大丈夫!どうにかなる!」といつもみんなを励ます様がとても印象的でした。そんな上西さんが作るご飯はまさに「パワーフード」。食べなきゃ始まらないよ!と言わんばかりに、元気がもらえるカフェにぜひ立ち寄ってみてください。