大分移住手帖

美しく並ぶトマトに感動!「料理人と生産者」それぞれの視点を活かした竹田市での暮らし。

取材 : Kaori ライティング : Misaki

取材者情報

お名前
高橋 正敏
出身地・前住所
神奈川県川崎市
現住所
竹田市荻町
年齢
45歳
家族構成
妻、長女、次女、三女
Instagram
https://www.instagram.com/massan.efl/

埼玉県出身で、結婚を機に神奈川県川崎市へ移り住んだ高橋さん。長年料理の仕事に就いており、主にイタリアンのシェフとして活躍した経験を活かし、現在は竹田市で「Earth Food Lab.(アースフードラボ)」の一員として働いています。そんな高橋さんが竹田市荻町に移住するまでの経緯や、現在の仕事に就くまでの過程について、お話を伺いました。

イベント出店時のアースフードラボの皆さん(本人:一番右)

妻と共に子育てに取り組みたい

高校卒業後から20年近く、東京都のレストランで働いていたという高橋さん。竹田市荻町へ移住するきっかけについて伺いました。

高橋さん:竹田市荻町について知ったのは、妻の母親の故郷ということもあり、2017年に親戚へのご挨拶も兼ねて初めて竹田市を訪れた時です。

2016年に長女が産まれたのですが、当時は仕事が忙しすぎて、早朝に家を出て終電で帰る生活をしていました。私が家にいる間は基本的に妻も子どもも寝ていて、育児に参加できておらず、妻だけに負担をかけてしまう日々でした。妻も1人で心細いだろうし、この生活を続けていくのは厳しいと考えていた頃に連休を利用して、初めて義母の実家である竹田市荻町を訪れました。妻も荻町には住んだことはなく、小学生時代の夏休みに1か月遊びに来ていた程度でしたが、従兄弟が住んでいることもあり、近所の方は妻のことを覚えていてくださいました。

荻町での滞在は2日という短い間だったものの、忘れられない日になったとのことですが、どのような出来事があったのでしょうか。

高橋さん:妻の親戚がエコファーム21でトマトを作っており、私が料理人をしていることを知り、ファームの見学を勧めてくれました。単なる興味本位で行ってみたのですが、真っ赤な美しいトマトが並んでいる光景に感動して、率直に「ここで働きたい」と思いました。エコファーム21は農業法人なので福利厚生もしっかりしていますし、週休2日で朝は早いですが終業は17時なので「一緒に育児に取り組めるのではないか」と感じました。

義母も高校卒業後からずっと神奈川県に住んでおり、体調を崩していた義父の療養や義祖母の介護もあることなどから、荻町への移住を考えていたそうです。義両親が移住することや自然が豊かで子育てするには良い環境だと感じたことなどから、その年の年末までに決断して、翌年の3月に移住しました。

移住する際にお世話になった人や、使った制度について伺いました。

高橋さん:義母の兄弟が元々荻町に住んでいるので、仕事や住居に関してなど色々とお世話になりました。市役所の補助金などの制度については知りませんでしたし、バタバタしていて利用できませんでした。

少しイタリアで働いていた頃のカルミネさんとの写真(当時26歳)

未経験の異業種へ

美しいトマトが並ぶ光景を見て「働きたい」と感じたそうですが、料理の仕事が無い状態で不安はなかったのでしょうか。

高橋さん:「料理」という仕事から離れることに対して後悔はなく、純粋にトマトを作りたいと考えていたので、不安はありませんでした。むしろエコファーム21は会社として成立していますし、給料をいただけるとわかっていたので、会社員として働けるのはかなりの安心要素でした。また、イタリア料理はトマトを良く使うので、たくさんのトマトを見てきましたし、料理してきたことが無駄にならないと思いました。いきなり「トマト農家をやってください」となっていたら不安でいっぱいだったでしょうね。

移住してから自分で事業などを始められる人は、元々スキルのあった人やそういう力のある人だと思うんです。しかし、そこまで力がなかったり子どもがまだ小さくて事業を始めるのは不安という方からしたら、移住後に会社に勤められるというのは良いことだと思います。移住後は、職と住がしっかりあればあとはなんとかなると思います。長女が1歳のときに移住したのですが、荻町に来たから安心して子育てができて次女・三女にも恵まれました。都会だと家も狭く、周りに気遣いながらベビーカーを押しての電車移動は大変ですし、当時は待機児童問題が一番ひどかった時期で、保育園に入るのも大変でした。そんなこともあり、妻と「 移住していなければ子どもは一人でいいかって考えていたかもしれないね」なんていう話をしたこともありました。

終始笑顔でインタビューを受けてくれる高橋さん

今までのやり方から変えていくべき

仕事に対するマインドは地域によって変わってくると思いますが、親戚の方と働くことも含めて、地域の人との仕事のやりづらさや苦労など感じたことはありますか?

高橋さん:収入は3分の2ほどになりましたが、家賃が安いので生活費などは都会とあまり変わりません。仕事をする上で苦労したことといえば、37歳から全く知らないことばかりで未経験の異業種に就農したため、みんなに迷惑かけないように必死に勉強をしたことです。農業の本を読んだりYoutubeを観たり、先輩の話を聞いたりするなどトマトのことばかり考えていました。みんな良い人だったのでやりづらさなどの問題はありませんでした。逆に37歳でいきなり農業を始める料理人というのが、他の人にとっては変わり者だったので、興味をもってたくさん話しかけてくれました。

現在はアースフードラボで働いているとのことですが、どのようなお仕事をしているのでしょうか。

高橋さん:昨年8月からアースフードラボで少し働いていたのですが、今年の3月末にエコファーム21を退職して今年4月から本格的にアースフードラボで働いています。農業を通してこれからの食について考えたとき、元料理人であり農業も勉強した自分にしかできないことができるのではないかと思い転職しました。野菜の使い方を知っている生産者、生産者の気持ちがわかる料理人は意外と少ないんです。そこで、料理と農業を経験し、生産者と料理をする側の目線があるという強みを活かして、野菜作りと料理を担当しています。

アースフードラボについて教えてください。

高橋さん:「人と地球に健やかな食」をテーマに、循環可能な環境に重きをおいた野菜作り、ただ加工品を作るだけではなく、生産者さんと密に関係を持った上で農産加工品を展開していくチームです。

私は、農法が変わってきている今が農業の転換期だと思っています。肥料は主に中国から輸入していますが、中国が制限をかけているので金額が爆上がりしてしまい、手に入りにくくなっています。肥料だけでなく電気代も灯油代もハウスのビニールもチューブまで値段があがり続けています。それでも野菜の値段は変わらないのは外国の資本に頼っているからで、このままでは今までのやり方はできなくなり、野菜が作れなくなってしまいます。そうなると、今日本にある資源でやるしかなくなります。そのために落ち葉や竹など自然の土壌中にある微生物を活用したサスティナブルな資源で作ると、必然と農薬が要らなくなるから良いんですが、やり方を切り替えるに当たって失敗が伴ってくるんですよね。収穫量も減るだろうし、小さい野菜しかできなかったり病気になったり虫に食べられたりと出荷できない商品、いわゆる規格外品が出てきてしまいます。市場流通の規格を変えるべきですが、それも難しいので出てしまった規格外品を使用してうちのラボで加工品を作ったりしています。

竹田市のマルシェにて出店、料理をする様子

例えば心地農園さんは玉ねぎを自然農法で作っているのですが、そうすると小さい玉ねぎができてしまうことがあります。今までは捨てていたようですが、料理人の目線からすると小さい玉ねぎは可愛いくて美味しいですし「ペコロス」という名前に変わり、さまざまな料理に使われるんです。価値が出るものが埋もれてしまっていると感じますし、少しでも循環できるようにしていけたらいいと思って働いています。

また、多くの生産者さんと関わる中で、若い生産者は自分で取引先を探したりできているものの、高齢の生産者は農協に出すしか手段がなくみんな大変だとわかりました。料理しかやってこずにいきなり畑に行ってしまうと、生産者からは「何も知らないのに…」と思われてしまいます。しかし、お互いの気持ちをわかってることで相手も心を開いてくれて「こういうのがあるんだけど」と情報を分けてくれたりするんですよね。このように、荻町の方達との関わりを通して、商品を無駄にせず生産者さんたちの収益につなげていきたいという考えにたどりつきました。

仕事中の高橋さん

最初は市営住宅やアパートがおすすめ

移住後の住まいは、元々空き家だった家を義両親が購入してリフォームし、5年ほど同居していたそうです。

高橋さん:荻町は空き家が少ないと言われているのですが、義祖母の家の近くに空き家が出たと親戚を通じて情報が入り、運よく買うことができたようです。今は子どもも増えて家が狭くなってしまいましたし、市営住宅の抽選にも当ったので、家族だけで市営住宅に住んでいます。竹田市の市営住宅は結構きれいで安いですし、とても快適です。

移住=一軒家のイメージが強いですが、抽選に当たれば市営住宅に住むことができます。一軒家に住んでしまうと隣近所との距離感もわからないし、地域に馴染めるかもわからないのに、すぐに別の場所に移り住むこともできません。一方、市営住宅であれば1年に4期ほどの募集があり、とりあえず応募して当たってから考えることもできますし、ハードルが低いので試し住みするにはアパートや市営住宅はおすすめです。

また、その地域の人たちとの繋がりがないと空き家を見つけるのも難しいので、先に賃貸に住んで関係を作ったうえで大工さんなどとの繋がりができてからリフォームなどをしてもらうのが良いと思います。

イベント時に販売していた麹スープ

周りの人々に恵まれている

都会ではあまり地域の方との関わりが無いと思いますが、いきなり田舎にきて付き合いなど大変だと感じなかったのでしょうか。

高橋さん:地域住民の方々には本当に恵まれていて、とても良い人ばかりです。ソフトボール大会やお祭り、子供会などの自治会の行事を通して仲良くなっていきました。自治会行事への参加は大変なことも多いですが、足を運べば楽しいので苦ではありません。

保育園もすぐに入ることができて、先生方にも良くしてもらっています。自然豊かな土地なので、どこでも遊び場になって子ども達は走り回っています。休みの日は子どもと遊ぶことが多く、市営住宅の公園や近くの小学校、竹の子ひろばだけでなく、久住方面、うぶやま牧場など熊本方面にも遊びに行っています。

地域の方とは良い付き合いができているという高橋さんですが、生活面では不便さや大変さを感じることがあったそうです。

高橋さん:移住して8年が経ちましたが、最初のうちはお店が少なく、不便に感じることもありました。大分市内や熊本方面に行ったりセブンイレブンやマクドナルドが恋しくなった時期もありましたが、最初の2〜3年で慣れました(笑)。美味しい水と野菜があれば快適に暮らしていけますし、子どもは味に敏感で水や野菜の味の違いに気がつくほどになりました。

また、我が家は3人目までなんとか三重町の産婦人科に通えましたが、今は婦人科のみになってしまったため、車で1時間ほどかけて大分市にある出産のできる病院まで足を運ばなければいけません。場所にもよりますが、竹田市近郊であれば、熊本県内の産婦人科の方が近い可能性もあります。小児科もいつかなくなってしまうのではという不安はありますが、選択肢は少なくてもあるだけありがたいですね。

大変なことといえば、冬が寒いことです。九州は暖かいというイメージを持っていたので、冬はとっても寒くて暖房器具や対策が色々と必要で驚きました。車をすぐに動かせるように出る前にエンジンをかけておいたり、水道管をバスタオルで包んで凍らないようにしたり対策できるようにはなりましたが、寒さはいつになっても慣れませんね(笑)。また、10年程前までは夏はクーラーを使わなくてもよかったそうですが、今は必須になっています。

エコファーム21でトマトを持つ高橋さんの長女(当時3歳)

家族と過ごす時間を何より大切に

竹田市荻町で充実した日々を過ごしている高橋さんに、大分県や竹田市への移住を考えている方へ向けたメッセージをいただきました。

高橋さん:移住と転職をしたことで、家族とのかけがえのない時間がとても増えました。自然豊かな土地での子育ても、のびのびとできており、都会での子育てに少し窮屈さを感じている方には是非ともおすすめします。

高橋さんご一家

最後に

都会での子育てに不安を感じていた高橋さん。たまたま訪れた義母の故郷である竹田市荻町で、大切な家族との時間や農業の未来を考えられる素敵な仕事に就く環境を手に入れました。

自然の中での子育てや、農業・料理の知識を活かした仕事をしてみたいという方は、竹田市への移住を考えてみるのも良いかもしれません。

WRITER 記事を書いた人

取材 : Kaori ライティング : Misaki

取材 : くろき かおり
豊後大野生まれ豊後大野育ち。高校卒業後は横浜・東京にて、外資コスメ会社で経営学・マネジメントを学ぶ。その後、石垣島・オーストラリアへの移住。オーストラリアでも同ブランドで勤務したのち、2019年に大分へUターン。現在はフリーランス。趣味は映画を見ること・旅行・サウナ。

ライティング : あべ みさき
東京生まれ大分育ちで、趣味は手芸。介護福祉士として働き、長男出産を機に退職。現在は、子育てをしながら在宅でライターとして働いている。

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