大分移住手帖

灰谷一家

子どもの主体性を伸ばすオルタナティブ教育を行う「ここのね自由な学校」に通わせたい。家族で選んだ自然豊かな豊後大野市での暮らし。

Hinako

取材者情報

お名前
灰谷孝・佑季
出身地・前住所
前住所:兵庫県淡路市
出身地:兵庫県神戸市(孝)・東京都品川区(佑季)
現住所
大分県豊後大野市
年齢
48歳(孝)・45歳(佑季)
家族構成
夫婦・子(倫太郎8歳)
職業
株式会社ビジョンパートナー・一般社団法人ここからだ・株式会社Innochi(孝)

バックパッカーとして世界各地での生活を経験した事のある奥様の佑季さん(以下、佑季さん)と、何度か海外旅行の経験があるご主人の孝さん(以下、孝さん)。また、一緒に日本一周をした事もある2人が大分県豊後大野市へ移住を決めたきっかけは、子どもたちが自然の中で伸び伸びと成長できる環境と「ここのね自由な学校」があったからだといいます。大分県豊後大野市へ移住するまでの暮らしや、これからしたい事などについてお話を伺いました。

キャンピングカーで日本一周。そして淡路島へ。

孝さんは、前に南極を旅した時に人生観が変わった経験をお持ちだそうです。そのため、佑季さんと一緒に海外を巡りたかったそうですが、佑季さんも世界を旅した事があり海外に十分満足していたので、日本一周なら行ってみたい!という事になり、キャンピングカーで日本一周をする事になりました。

孝さんは当時ブレインジムのインストラクターをしており、佑季さんもインストラクターになる予定だったので「日本にブレインジムを広める旅にしよう!」という事を目標に9ヶ月かけて岩手から沖縄まで周りました。

旅の途中の宮城県で入籍し、定住地を探すことになった2人。大分県の由布院の街並みや由布岳の雰囲気に魅力を感じたため、第一候補は大分の由布院だったそうです。ところが、途中で通った淡路島の西海岸に直感的に惹かれた2人は、3ヶ月ほど物件を探して、孝さんは大阪から、佑季さんは横浜から移住することになりました。

孝さん:ちょうど当時、世界の中心が淡路島になるというような本が出るなどして、色んな人が移住し始めていた時でした。僕らも丸10年住みました。

田沢湖畔のオートキャンプ場で撮られた、日本一周をした時のキャンピングカー

田沢湖畔のオートキャンプ場で撮られた、日本一周をした時のキャンピングカー

淡路島で「森の学校」を設立。

淡路島に移住した灰谷夫婦は、お香で有名な一の宮地区にある里山の古民家で暮らし始めました。孝さんは以前より行っていた企業研修などの講師の仕事とは別に、淡路島に移住してから発達支援講座の開催や講師派遣の会社を設立し、5年後には眼鏡の会社を設立しました。どちらも、孝さん自身がどこにいても仕事が回る環境を作り上げたといいます。佑季さんは毎週金曜日に親子で楽しめるフリースペース「おのころカフェ」の運営をボランティアで始めました。

淡路島での生活に慣れた頃、息子の倫太郎くん(以下、倫太郎くん)が生まれ、3歳から森のようちえんに通うようになりました。

孝さん:淡路島の森のようちえんでは本当に園舎もない森で過ごします。雨が降ったらテントを張るような感じです。は寒すぎて、子どもたちは涙を流すぐらいの中ティピでお弁当を食べることもあって、子どもたちが逞しく育つことができる環境でした。

佑季さん:森のようちえんに通っていた保護者の中から、「誰か一緒に学校をつくりませんか」というお誘いがあり、以前から学校を作りたいと思っていたので一緒に作ることにしました。

2人はどんな学校が子どもたちに必要で、どうやっていけばいいか、中心になってくれていた夫婦の方たちと話し合いを重ねたといいます。結果、森のようちえんの延長にある、森の学校が出来ました。倫太郎くんはそこに小学校2年生まで通っていたそうです。

淡路島で佑季さんが運営していた、元倉庫を改装したおのころカフェで遊ぶ子どもたち

淡路島で佑季さんが運営していた、元倉庫を改装したおのころカフェで遊ぶ子どもたち

「動機があって、そこに学びがある」それが社会。

目的や動機がないのに、暗記や反復練習の勉強をするのが苦手だったという孝さん。森の学校の運営を通じて、動機がないのに学ぶというのは本来の社会の仕組みではないと改めて思ったといいます。

また、昔ながらの厳しい女子校で規則で縛られたという経験から、佑季さんは高校が大嫌いで「生徒を信じてないだけだ、こんなのは教育じゃない」と強く感じたそうです。

孝さん:子どもって面白くて、毎日森でどろんこになって遊び回って、自分から「勉強したい」と言うまでは全くしないけど、夜になって帰宅すると突然「割り算の問題出してくれる?」という感じで言い出す事がありました。友達が出来るのが羨ましくて「問題出して!」と言ってきたり「何それ面白そう」という感じで自然と勉強する意欲が出てきたりするんですよね。だから学ぶ順番は通常の小学校と比較するとバラバラで、うちの子は割り算から始めました。でも割り算をするには掛け算の概念が必要で、頭の中ではそれが繰り広げられているんです。

仲間と共に設立した森の学校は今も週3日のペースで行われています。

移住前最後のおのころカフェに遊びに来てくれた淡路島の森の学校の子どもたちや仲間

移住前最後のおのころカフェに遊びに来てくれた淡路島の森の学校の子どもたちや仲間

新たなステージへ。「ここのね自由な学校」との出会い。

淡路島で充実した日々を過ごしていた灰谷一家が、なぜ豊後大野市へ移住を決断したのか、きっかけをお聞きしました。

佑季さん:2022年の春に阿蘇と高千穂と由布院を旅した際に、突然「あ、移住したい!」と思い立ちました。移住するなら以前住みたかった大分県がいいなと思ったので、無理やり予定を調整してもう1泊して移住を決めました。淡路島で10年やり切ったなと感じたので、次のステージに進もうと思いました。

孝さん:子どもをフリースクールに通わせたかったのですが、当時由布院にはフリースクールがありませんでした。なので「大分県 オルタナティブスクール」で検索してここのね自由な学校を見つけ、竹田市と豊後大野市に絞って居住地を探しました。ここのねには、最初は倫太郎と僕で大分に足を運んで見学させてもらいました。子どもたちがいない土日に見学が出来るので、急遽だったんですけど対応してくれました。

佑季さんは仕事の都合で行けなかったそうですが、2人の感想を聞いたり、ホームページを拝見したりして、良いところだと感じたといいます。こうして移住先は豊後大野市に決まったそうです。

やりたい事に合ったロケーションと、丁寧に管理された古民家に感動した灰谷一家。

淡路島に住んでいた時も元倉庫を改装して子どもたちが遊びながら発達していける環境を作っていた灰谷夫婦。豊後大野市でも古民家を改装して人が集まれる空間を作りたいと言います。

佑季さん:淡路島では倉庫内で遊べるようにリノベーションなどを行いましたが、今回は外で思いっきり遊べるようにしたいと思っています。まずは、お母さんたちが自分の話をもっと聞いてもらえたり周りと繋がれたり、そういう時間を取れる場所にしたいです。

いずれは色んな物の垣根をなくしていきたいという佑季さん。大人も子供も、おじいちゃんおばあちゃんも、障害があってもなくても集まれるコミュニティ「プレイパーク&LAB」にしていきたいと思っているそうです。

改装中の古民家の様子

改装中の古民家の様子

豊後大野市への移住を決めてから7〜8回ほど家探しのため、物件候補地へ足を運んだ灰谷一家。空き家バンクをチェックして、気になった物件が埋まらないように急いで見に来る事もあったそうですが、実際に見ると荒れていて住めそうにないなど、なかなか思うような場所がなかったそうです。

佑季さん:私が最初に豊後大野市を訪れた際に、また急遽ここのねに見学しに行かせてもらいました。その時に、ここのねの代表の山下さんや大家さんから「家探しを手伝うよ!」と言っていただいて、実際に話を繋いでくださり、今住んでいる家が見つかりました。

プレイパーク&LABに合ったロケーションと、丁寧に管理された建物に感動した灰谷一家ですが、1つ問題があったといいます。

佑季さん:持ち主の息子さんの友達も住みたいと言っていたんです。でも、ここをどんな風に使いたいか、こういう事をするために…というのを孝さんにプレゼンしてもらいました。その結果、持ち主の方から「灰谷さんにぜひ」と言っていただけて、購入することになりました。

孝さん:絶対無理だと思っていたので、奇跡だと思いました(笑)。住居用と、プレイパーク&LAB用に隣の古民家の2軒を購入しました。古民家は今施工してもらっているところで、土間が最高です!

古民家の土間にあるかまど

古民家の土間にあるかまど

移住するにあたって困った事。

灰谷夫婦が移住してくる時に困った事、実際に住んでみて不便に感じた事を伺ってみました。

まず、移住してくる時に困った事は、家が決まるまでに何度も足を運んだ中で、来た時に泊まるところがなかった事だといいます。淡路島から日帰りで来た事もあったそう。

孝さん:最初は全く分からなかったから長湯に泊まっていたけど、あまりにも不便で三重町の赤嶺信武さんの家の別棟に間借りさせてもらうようになりました。「移住者は宝だから」と言って本当に良くしてもらいました。

赤嶺さんは昔、旅の公社で働かれていて、今はここのね自由な学校で理事をしている方だそう。一週間泊めてもらったり、一緒にご近所の家に挨拶しに回ってくれたりしたといいます。

また、豊後大野市には移住支援金制度などはありますが、年度替わりの前に家を購入していたため、灰谷一家は使えなかったといいます。

実際に住んでみて不便に感じた事は、県外に行くのに時間がかかるという事です。孝さんは仕事の都合上、東京などに行く事が多いそうですが、豊後大野市は大分空港がある県北までかなり離れており、豊後大野市から移動するとなると前後一泊増えることになるため、それが不便に感じたそう。しかし、慣れると気にならなくなったといいます。

また、子どもの習い事はあるけど、大人向けの習い事はないといいます。今は合気道を探しているそうですが、全然ないそう。

孝さん:豊後大野市は19時を過ぎるとお店とかも閉まって静かになるので、時間の使い方を自分で創作していける人におすすめです。

豊後大野市でも作りたいという、淡路島の時の「人が集まれる空間」

豊後大野市でも作りたいという、淡路島の時の「人が集まれる空間」

住みやすく、伝統を感じられる町。

豊後大野市に移住してきて、最近やっと落ち着いたという灰谷一家。自然や歴史に大分県の奥の深さを感じているそうです。そんな2人に豊後大野市の魅力をお伺いしました。

孝さん:旧大野町は立地的にどこでもいけるHUBみたいな場所になっています。文化的にも中継地として栄えたと言うのを聞いてすごく納得しました。だから、出かけるのが好きな僕たちにとっては、大分や阿蘇、高千穂にも行けるこの豊後大野市は最高でした。また自然が豊かで、人も濃い人が多く、野菜や水も豊かです。淡路島に住んでいた時はやっぱり島なので、水に困ることがありました。なので豊後大野の水の豊かさは大きな魅力の一つでした。ゆくゆくはお酒作りをしたいです。

また、豊後大野市の素朴な所も好きで、昔からの空気感や文化を少しずつ感じているそう。大野町は商店街にも書いているように、昔物々交換が栄えた町で、孝さんはそういった町にしていきたいと考えているそうです。さらに孝さんには夢があるといいます。

孝さん:日本は蒸し風呂文化があるというのを移住して知りました。私は発達や統合医療などに携わっていますが、石風呂はその昔は医療だったと聞きました。昔から人は自然を活かして薬草などで治療とか健康を考えていたけど、今はそういう文化があったことがあまり知られていないように思います。なのでそういった文化を学んで、現代と古来を融合させたような形を作って、復活させていく事ができればいいなと思っています。

移住希望者へメッセージ

世界各地や日本各地を巡り、豊後大野市に移住を決めた灰谷夫婦から、移住を考えている皆さんへ向けて、メッセージをいただきました。

灰谷夫婦:豊後大野市は、東西南北すべての方角にある有名な観光地につながるHUBのような場所です。昔から豊後大野市は様々な場所から人と物が集まり、物々交換で市場が発展した土地で、色々な魅力的な方が集まる場所だと感じました。そして豊後大野市には人の暖かさや自然の恵みなどの「本当の豊かさ」があります。ぜひ一度足を運んで体感してみてください。

阿蘇にあるコーヒー農園を訪れた灰谷一家

阿蘇にあるコーヒー農園を訪れた灰谷一家

最後に

今後は人と人が繋がれる場所「プレイパーク&LAB」を作りたいという灰谷夫婦。徒歩圏内にお店や公共施設、学校がありながらも、大自然に囲まれて静かな大分県豊後大野市は2人にとって最高の場所だったようです。子どもの成長に求める環境を、自ら作ってきた灰谷夫婦。改装中の古民家にできる「プレイパーク&LAB」が楽しみです。

WRITER 記事を書いた人

Hinako

大分生まれ、大分育ち。
高校卒業後、経理事務として6年勤務。現在はデジタルマーケティングに携わっている。
趣味は、映画鑑賞、読書、ゲームなど。

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