大分移住手帖

趣味がいつしか仕事に。縁が広がって辿り着いた充実した移住生活。

Kg

取材者情報

お名前
木村真琴
出身地・前住所
千葉県船橋市
現住所
大分市舞鶴町
年齢
43歳
家族構成
夫・犬
職業
合同会社FUKUO 代表 / フードディレクター / 中小企業支援アドバイザー / 所伝料理研究家 / 城郭史講師
Webサイト
https://foodoffice357.amebaownd.com

スタジオで作業する木村さん「なんだか街でよく見かけるし、時にはテレビや雑誌などのメディアでも活躍する人」というイメージで、すっかり大分中心部に溶け込んでいる木村さん。実は結婚を期に大分に移住し、専業主婦からスタートするも“2つの趣味を通じて人の縁が広がり、いつしか趣味が仕事になっていた”そうです。
そんな木村さんの体験を通じて、移住生活をアクティブに満喫するコツを伝授して頂ければと思い、大分に来る前の不安や葛藤、大分に来てから今に至るまでのお話をお聞きしてきました。

木村さんのスタジオ

■夫以外に知り合いのいない遠い地へ。
千葉県船橋市で生まれ育った木村さんにとって、大分はまさに縁もゆかりもない地。夫以外に知り合いのいない遠い大分へ渡るのは、とても不安だったそうです。更に、夫は仕事の関係で県内での転勤や不在が多く、何かあった時に助けてもらえないという状況で、孤独を感じる事も多かったそう。また、運転免許を持ってない事もあり、交通網が発達して不自由なく生活できた地元と比べて、大分の買い物や交通の便にも不安を感じていたとか。

ところが、いざ大分で生活をはじめてみると、元々持っていたネガティブなイメージは払拭されていきました。一番心配だった交通網は、地元ほどではないもののある程度発達していて、そこまで不便を感じずに済んだし、何より温泉をはじめ自然や食が豊かで、大分の事をもっと知りたいと感じたそう。もちろん、移住前に常用していた日用品が手に入らないなどのデメリットはあったものの、病院数や専門病院が地元の実家周辺よりも多いなどのメリットもあったとか。

岡城の石垣

大分に来た当初は、職業訓練校に通って福祉住環境コーディネーターの資格を得たり、趣味である城郭巡りをしたりと、目新しい環境で充実した生活を送っていたとのこと。

後々仕事にもつながるこの城郭めぐりは、元々は石垣が専門で、石垣を見ればその街の個性や栄えていたかがわかるほど。中でも、初めて竹田市にある岡城 ※1 に行った時は、山城にも関わらずしっかりとした石垣に圧倒され、その勇壮な佇まいに驚いたそうです。

他にも、大分市にある府内城 ※2 をはじめ、大分県内には多数の史跡があるため、興味が尽きなかったそう。木村さんによると、大分県は他の県と比べると、城郭部分は少ないもの多くの石垣が残されているそうで、石垣好きとしては充実した生活を送る事になりました。

このように、せっかく大分に嫁いだという事で色々な史跡を巡り、自然と見識を深めていきつつ、とりめし ※3 や黄飯 ※4 などの大分の郷土料理の成り立ちを突き詰めると、歴史に繋がる事から興味を持ち、食べるところからも歴史を伝えたいと考えるように。最初は戦国料理からスタートして、古代や江戸時代の料理を調査・研究し、身につけていったそうです。

 

■趣味と縁が広がって所伝料理研究家へ。
大分での生活にも慣れ、大分大学医学部で研究補助員兼秘書の仕事をはじめたのですが、そこで木村さんの人生を大きく変える転機が訪れます。そのきっかけこそが、もう一つの趣味であるフルート!

病院関係はジャズをやっている人が多かったそうで、木村さんが演奏するフルートを通じて、あっという間に知り合いが増えていきました。そんな音楽仲間の縁が広がる中でも、木村さんは事あるごとに「石垣が好き」と話していたそうです。その事がそのうち自然と音楽仲間を通じて「面白いヤツがいる」という事で話題になり、いつしか色々なメディアや行政から、城郭史講師として番組やイベント出演などで声がかかるようになったそう。自らの足で県内の城郭を巡ってきた経験が、音楽仲間の縁を通じて、ここで華開くことになりました。「城郭史講師・所伝料理研究家 ※4」の木村さんの誕生です。

イベントフライヤー

木村さんのスタジオ

■食材の宝庫で食と向き合う日々。
現在は、府内5番街にある事務所と都町にあるスタジオを中心に、食とむきあいフードディレクター・中小企業支援アドバイザーとして、ブランディングやマーケティングを含めた商品メニュー開発・工程や配膳の同線や工程などを含めたスタッフ指導・レシピ作成を企業・飲食店・ホテルなどで行いつつ、所伝料理研究家・城郭史講師としてメディアやイベントなどに出演、更には自社商品開発とアクティブに幅広く活躍する木村さん。

「海・山・川・温泉など大地に恵まれた世界でも稀な地域であるここ大分県は食材の宝庫。
その魅力を県外移住者としての目線から地元の皆様や県外世界の方に広めたい。」その想いと郷土の歴史を繋げて、今後も食のお仕事に携わっていきたいそうです。

自社商品の塩

スタジオには様々な塩が展示

木村さん

■大分は来てみて初めて良さを知ることができる、自分のライフスタイルに合わせられる場所。
大分に移住してよかったと一番感じる瞬間を聞くと「全国的に有名な別府温泉や湯布院温泉はもちろん、大分県内にはたくさんの温泉があるので、行きたい時にすぐ足を運べるし、毎日だって入る事ができる!」と答えた木村さん。移住前から温泉は好きでしたが、地元の船橋市から温泉に行くためには、計画を立ててお金を費やし休暇を取って行くという、かなりの労力が必要あったそうです。それが、大分だと安くてすぐに行ける上に、白濁や炭酸などの温泉も選べて、最高に贅沢だと感じるそうです。

逆に、大分にいてマイナスに感じたのは、身内に何かあっても駆けつけるのができない事。実際に親の危篤の際に間に合わなかったそう…… 「遠方から移住する際は、親の死に目には会えない覚悟は必要」とも。

そんな木村さんから移住の後輩へのメッセージ。

「大分県はきてみて初めて良さを知ることができる場所です。
“小藩分立 ※6”という大分県の民族性を表現する言葉がありますが、各々の土地に個性的な文化があり、人も街も魅力的。
私は未だに車の免許を持っていませんが、それでも交通の便はある程度発達していて楽しく過ごせています。
自分のライフスタイルに合わせてカスタマイズしながら、仕事も遊びも人も謳歌できる土地でもあります。
ぜひ一度、足を運んで見て感じて下さい。」

■最後に。
「目指したというよりは、縁があったから今に至った」と木村さんは言っていましたが、夫の地元という理由で知らない地に来たものの、趣味と縁で新しい道が拓けた木村さんと話して感じたのは、自分の興味を穿けば次のステップに繋がるという事。そして何より、縁という形にならない暖かなものの後押しや支えです。もちろん、人知れず努力や学びもたくさんあったと思いますが、大分という地や人が持つ優しさや包容力などと、木村さんの想いが実を結んだのではと思います。

これから移住を考えているという方には、まずは新しい大分の地を踏んで自分の目で見て、その想いを確信に変えて欲しいです。

 

※1 岡城
本丸、二の丸、三の丸、西の丸などの主な曲輪(くるわ)から成り、日本100名城に選ばれれる。また、城内にはたくさんの桜の木があり、その美しさから『日本さくら名所100選』にも選定されている。瀧廉太郎の「荒城の月」は岡城にて曲のイメージを得たといわれているため、二の丸には朝倉文夫作の瀧廉太郎像の銅像が建てられいる。

参照:
公式サイト https://okajou.jp/
日本100名城ガイド 岡城 https://www.100finecastles.com/castles/okajo/

※2 府内城
北側は海、東側は大分川河口の湿地帯を天然の要害として本丸、二の丸、山里丸、北の丸が梯郭式に配置された城として1607年(慶長12)に完成。1743年(寛保3)に天守ほか多くの建物が焼失し、以降天守は再建されなかった。明治維新後も残っていた着到櫓や大手門なども戦災で失われ、人質櫓・宗門櫓を残すのみとなっていたが、1965年(昭和40)に大手門と4基の櫓が復元され、翌年西丸と山里丸を結ぶ廊下櫓が復元された。

参照
大分市
http://www.city.oita.oita.jp/o204/bunkasports/shitebunkazai/1352943146749.html
日本100名城ガイド 府内城 https://www.100finecastles.com/castles/oitafunaijo/

※3 とりめし
砂糖と醤油などで鶏肉とごぼうを煮込み、ご飯が八分炊きの時に混ぜ合わせる2度炊きで作られる。おにぎりにして供されることが多い。大分県は一村一品運動の発祥の地であるが、米の消費拡大にも寄与する吉野鶏めしは、大分市の一村一品に指定され、特産品として育てられた。

参照 鶏めし 大分県| うちの郷土料理:農林水産省
https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/menu/torimeshi_oita.html

※4 黄飯
臼杵藩(現在の臼杵市)の殿様が、贅沢な赤飯の代わりにつくらせ(当時、小豆は貴重な食材だった)、家来にも振る舞ったのが「黄飯」と「黄飯かやく」のはじまりといわれる。また一説では、キリシタン大名だった大友宗麟が南蛮貿易をおこなっていたことから、スペインのパエリアを模したのではないかともいわれている。

参照
黄飯と黄飯かやく 大分県 | うちの郷土料理:農林水産省
https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/menu/ohantoohankayaku_oita.html

※5 所伝料理研究家
木村さんの造語で、各地に伝わる伝統料理を研究し、時には失われたレシピを再現し今に伝える料理研究家との事。

※6 小藩分立
江戸時代の大分は、奥平氏の中津藩、松平氏の杵築藩、木下氏の日出藩、松平氏の府内藩、稲葉氏の臼杵藩、毛利氏の佐伯藩、中川氏の岡藩、久留島氏の森藩、島原藩の飛地、熊本藩の飛地、延岡藩の飛地、旗本の時枝氏領、旗本の立石氏領、宇佐神宮領、天領(「御料所」と呼ばれた幕府直轄地)の8藩7領という15の領土に分けられたため、それぞれの地で違った文化・風習が生まれ、他県にはない独特の風土となった。

参照
おおいた暮らし 小藩分立県大分 https://www.iju-oita.jp/archives/293
大分県 https://www.pref.oita.jp/uploaded/attachment/2002199.pdf

PHOTO

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WRITER 記事を書いた人

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株式会社モアモスト 取締役・一般社団法人まち元気おおいた 理事・Pdw 代表として、サイト・DTP・DTMなどディレクション〜制作をはじめ、ライターや撮影などの業務に従事。大分市府内5番街商店街振興組合の理事として、まちづくりにも携わる。

SC-RECS.com・クラブイベントインフォ・SCLS・DubRize・PLay・合同写真展などを主宰し、各種イベントのオーガナイズからDJやマシンライブなどまで展開中。テルミン使い。

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