大分移住手帖

泊 麻未さん

ニューヨークで体感した、アートを通じた地域との関わりを野津原でも

Hinako

取材者情報

お名前
泊麻未
出身地・前住所
出身地:宮崎県
前住所:東京都
現住所
大分県大分市野津原
Facebook
https://www.facebook.com/asami.tomari.75/?locale=ja_JP

大分県大分市野津原は、ホタルが鑑賞できる美しい自然がある一方で、少子高齢化とともに学校の統廃合が進んでいる地域でもあります。そのひとつの廃校がシェアアトリエとして活用され、このアトリエで色々な活動を行う泊麻未さん。大学時代は東京で演劇学を専攻し、小劇場やライブハウスが集まる下北沢を拠点に活動をしていたといいます。泊さんが野津原へ移住し、アートのお仕事を見つけるまでの経緯についてお話を伺いました。

インタビューに答える泊さん

インタビューに答える泊さん

留学先のニューヨークで、アートに惹かれる

演劇のことをもっと勉強するために留学したニューヨークで、泊さんはアートに出会います。ルームメイトたちの多くが若手のアーティストで、その方たちは廃工場を活用したシェアアトリエに通って制作をしたり、空きアパートのギャラリーで作品発表をしたりしていたそう。そのようなアートの場に連れて行ってもらうにつれて、段々とアートへの興味が湧いてきたといいます。

 

泊さん:留学するまでは、絵を描く人とそれをサポートする”裏方”の人がいるんだろうな〜くらいにしか思っていませんでした。しかしニューヨークで感じたのはディレクターやプランナー、キュレーターと呼ばれる人たちの圧倒的存在感でした。また、アーティストが自分たちでシェアアトリエを運用したり、展示の企画をしたりと、プレイヤーとディレクターを自由に行き来する姿や、地域と共に表現活動を続ける姿も見ることができました。表現に合わせてプレイヤーとディレクターを行き来するスタイルは、何となく良いなぁと思うようになりました。

 

それまで演劇の世界が中心だった泊さんにとって、ニューヨークのアートの現場は色々なことが新鮮に映ったといいます。帰国後しばらくは東京と宮崎を行き来しながら、空き店舗での展示を行ったり、まちづくり団体に参加したりしはじめたそう。

 

泊さん:当時は色々な素材に絵を描いたり、立体作品に挑戦したり、仲間たちと一緒に自主映画を制作したり、がむしゃらに活動していました。自主映画は宮崎県日向市の美々津が舞台だったので、現地の方にたくさん協力してもらって撮影や上映会をしました。

泊さんの手掛けたシャッターアート

泊さんの手掛けたシャッターアート

野津原の旧校舎活用アトリエで、0から1をみんなで作っていく楽しさ

地域を意識した活動を続けていた中で、宮崎市の古着屋さんとの会話がきっかけで大分のアート事情を知った泊さん。さらにネットで調べると、大分市野津原の旧校舎活用アトリエがヒットし、早速問い合わせをしてみたそうです。

 

泊さん:旧野津原中部小学校を活用したアトリエ(ななせアートスタジオ)の仕組みとして、アトリエを無償(※光熱水費などは別)で借りられる代わりに、大分市のアートに関するイベントや地域貢献活動に積極的に参加協力することになっています。例えば地域で開催される「こどもアート学校」のワークショップの講師などです。

市のイベントに参加できるのは、これから経験を積みたいアーティストにとってプラスになると思います。若手アーティストの支援としてもありがたい制度だと思いました。

 

アトリエにとても惹かれた泊さんでしたが、はじめての土地で生活をしていくイメージが湧かず、あと一歩が踏み出せなかったそう。しかし、東京に戻って数日経ったある日、アトリエ見学の対応をしてくれた市役所職員の方から「大分市地域おこし協力隊のアート部門の募集があります。」と電話があり、この情報がきっかけで、野津原でのアート生活を真剣に考えるようになったといいます。

 

泊さん:アトリエ事業は始まったばかりで、そこに配属される協力隊のミッションも最初は職員さんと探りながらのスタートでした。業務中は私自身がアーティストとして活動することはありません。その分、アトリエのことやアートのことを地域の皆さんに知ってもらったり、アトリエ利用者と地域との交流を生み出すための企画づくりやイベント運用を行ったりしました。実験的な環境だったので、アーティストや地域の皆さんとアレコレ試して、楽しく感じることも多かったです。

アートがだんだん身近になっていく野津原地域の皆さん

アートがだんだん身近になっていく野津原地域の皆さん

ローカルエリアでアートを浸透させる難しさ

大分市地域おこし協力隊として野津原地域に着任した泊さんですが、最初は地域の方々も「アートが一体この地域に何をしてくれるのだろう?」とよく分からなかったのでは、と語ります。

 

泊さん:そう思うのは当たり前です。アートというのは即効性があるものでも、分かりやすいものでもありませんし、価値も一定ではなく、時代や環境で変化します。地域の皆さんは最初からずっと優しいですが、アートへの関わり方については、互いにじれったさがあったと思います。

 

しかし、協力隊活動として行った「出前アート倶楽部」や「ななせ美術館」がそのじれったさを解消するきっかけのひとつになったそう。

 

泊さん:「出前アート倶楽部」は内容・材料・講師を全てセットでオーダーしてもらい、団体さんへ出張しますという、いわゆるアウトリーチです。この事業のポイントは「とことんオーダーを聞くこと」です。地域のふれあいサロンさん(高齢者などの地域住民が自由に参加し、相互交流や情報交換、介護予防につながる活動ができる地域に開かれた集いの場)やオレンジカフェさん(認知症カフェ)、こども会さんにお邪魔することが多かったですが、オーダーとしては、会場が汚れない内容、力を使わない内容、20分程度の短い内容、お孫さんに自慢できる作品が完成する内容、面倒でない内容、脳トレになる内容など…。「あれ、アートってなんだったっけ?」と何度も考えました(笑)。

しかし、私の思う「アート」を皆さんで楽しむためにも、何とかオーダーをクリアしながらプランを立てました。代表の方がウンと言わないことでも「任せてみてください!面白くなると思うので!」と言って実際やって面白がってくれて、内心、胸をなでおろすこともありました(笑)。

 

「出前アート倶楽部」によって地域との関係が増え、そのうち、おまかせでアートワークショップを発注してくれる団体も増えたそうです。また、「ななせ美術館」と銘打ってアトリエで色々なアートに関するイベントを行うようになると、「出前アート倶楽部」で出会った地域の方々がこちらにも来てくれるようになり、さらにアートの輪が広がったといいます。

 

泊さん:地域の方がアトリエに来てくれるようになって良かったことは、アトリエにアーティストや学生、移住者など若い世代が集まってきていることを目撃してもらえたことです。

アートに関わり、アートを知ろうとして、若い方が野津原を訪れたり、子どもの笑い声が旧校舎の中でまた聞こえたりするんだと、地域の皆さんにも喜んでもらえたと思います。

地域のふれあいサロンで行われたワークショップの様子

地域のふれあいサロンで行われたワークショップの様子

地方でアートを仕事にする

協力隊以外の時間でも、アートの企画やプロデュースなど行ってきた泊さん。実際にどのようなアートのお仕事をしてきたのかを伺いました。

 

泊さん:様々な仕事の中で現在、一番の収入になっているのはアートプロジェクトの企画、次いでワークショップ講師・プランナーの仕事です。

ワークショップ講師・プランナーの仕事ですが、「こんなところからも?」と本当に色々なところからご依頼いただきます。協力隊時代から変わらず、できるだけ先方のオーダーを聞き入れつつワークを組み立てることを意識しています。音楽家さんやダンサーさんなど他ジャンルの方とコラボしたワークをさせていただくこともあり、その時しか生まれない特別な空間をみんなでシェアできて、アートって良いなと感じます。時には、日常から解放されて”ハチャメチャ”な時間を過ごせるような、大量の紙吹雪や紙テープにまみれるワークショップも行います。ちょっとした非日常を、一緒に体験した参加者同士での達成感はワクワクしますし、仲良くなれるのでお気に入りの時間です。

”アートに関連した講座”を行うこともあります。例えばとある民間企業では、「現代アートの楽しみ方〜超入門〜」や、「アートシンキングって何?」などの講座を行いました。チームビルディングの入り口として、アートや演劇を使ったワークを担当したりもしました。

 

アートイベントやアートプロジェクトの企画などについても、具体的にどのような仕事を行っているのかをお伺いしました。

 

泊さん:例えば、野津原にある「宇曽山荘」にて「アートホテル化計画」というアートプロジェクトを行いました。若手アーティストの滞在制作と、展示発表、トークセッションの企画で、普段なかなか野津原に来る機会のない方も野津原に来ていただくきっかけとなりました。また、大分県や愛媛県(伊方町)の協力隊による交流マルシェ(Kaikyoカーニバル)のプレイベントとして行った「みんコレDAY〜みんなでコレカラを考える日」では大分県と愛媛県から合計5組のアーティストに声を掛け、伊方町の海の清掃活動からスタートしました。皆さんとおしゃべりできる場も設け、アート作品を通じて色々なお話を聞くことができました。

他にも豊後大野市でのファミリーコンサートの運用に関わったり、大分県と宮崎県の若手アーティストの交流制作「インスパイアシアター2023」では成果物発表として、大分県立美術館と宮崎県の高鍋町美術館オムニバス形式の公演を行いました。

ハードルを下げて、垣根を超えて、それぞれの楽しみ方でそれぞれの何かの入り口になるような、どこかとどこかが影響しあえるような、そんな企画を心がけています。

 

大分市地域おこし協力隊を3年で任期満了している泊さんですが、協力隊時代に行っていたことがそのまま今の仕事に繋がっていたり、協力隊ネットワークの繋がりから仕事に繋がるケースが多いといいます。

 

泊さん:協力隊の任期を終えても、地域の方やアーティストが自分たちのイベントに呼んでくれることが嬉しいです。笑い合える人たちと仕事ができるようになりました。野津原やアート関係者以外にも地域を盛り上げたいと考える方々と出会う機会も増えました。その中でも、何かと何かの間にいて、「つなぐ役割」をしている人たちはいつも楽しそうだなと思います。ゆるい繋がりや、何かあれば助け合えるコミュニティの多くに、繋いでいる人がいるのではと考えるようになりました。美味しいごはんの場や、素敵なアートの場には、何かと何かを繋いでいる人の存在が欠かせないように思うようになりました。

 

文化芸術の分野においての「つなぐ人」、つまりアートの中間人材も、地方においては非常に不足しているそう。そこにはしっかりとした生業として食べていけないという現状があるという泊さん。しかし、アートの仕事が分業されていない地方だからこそ、多岐にわたる仕事ができたり、色々な分野の人と知り合うことができたりして、そこに面白さがあると語ってくれました。

泊さんがデザインしたグリーンスローモビリティの車両ラッピング

泊さんがデザインしたグリーンスローモビリティの車両ラッピング

野津原という地域での暮らし

大分市地域おこし協力隊は住居も保証されるため、最初の3年間は市の指定する住居に住んでいた泊さん。任期が終了する頃に、アトリエや事務所としても利用できる場所に移り住みたいと思っていたそうですが、新しい家探しは難航したそうです。

 

泊さん:修繕しなくてもすぐ住むことができる賃貸物件を探していました。しかし条件に合う物件があっても、持ち主が分からない家も多く、範囲を広げて探してもなかなか見つかりませんでした。そんな中、気にかけてくれていた地域の皆さんが直接聞いてくれたり交渉してくれて、素敵な物件に出会うことができました。

 

泊さんにとっての「移住」は、「拠点を増やす」というイメージが強いそう。野津原というコミュニティの適度な距離感は、若い世代やアーティストにもおすすめしたいといいます。

 

泊さん:「移住・定住」という言葉にプレッシャーを感じる時があります。もちろん、その場所に住めるということは、その場所を育て守って維持してきた人がいるからです。そのことについては別軸で考える必要がありますが、そういう方々がいるおかげで、自分が過ごしたい場所やコミュニティを自分で選ぶことができる時代でもあります。よりよい関わり方ができるコミュニティに人はどんどん移っていくのかもしれません。

アーティストが一定の地域に一定期間滞在して制作活動を行う「アーティスト・イン・レジデンス」という制度があります。アーティストが地域と関わりながら作品をつくったり、地域貢献の活動を行う姿を見ていると、アーティストかどうか関係なく、地域や社会との関わり方について考えさせられます。アーティストは地域やそこのコミュニティの本質がビジュアル化することがあり、作品からもまたいろんなことを考えさせられます。従来の概念にとらわれない地域との関わり方をアートを通じて考えたいと思っています。

旧校舎活用アトリエや、アートを通じてつくられていく野津原でのコミュニティが、誰かにとっての止まり木みたいになれば良いと思います。例えば学生の実践の場になるとか…。

ファミリーコンサートを開催したときの様子

ファミリーコンサートを開催したときの様子

また、野津原での日々の過ごし方についてもお話を伺いました。

 

泊さん:普段の生活では、ごみ捨て場の掃除や草刈りをしてくれている方に挨拶したり、回覧板を回したり、自治会費を納めたりします。しいたけ、かぼす、お漬物、お肉など美味しいものをよくいただいたりもします。隣の方が代わりに荷物を受け取ってくれたりもします。地域でお祭りがあった時は、会議や事前清掃に参加しました。当日は地域の方の親戚やお友達も一緒にガレージに集まり、女神輿も担がせてもらいました。女太鼓の皆さんにまぎれて担がせていただき恐縮でした…!でもこうして過ごしていると、自分たちで自分たちの環境を回していく実際的な仕組みがよくわかります。

 

野津原は平成17年に大分市と合併した町ですが、「みんなで営なむ空気感」が今もあるという泊さん。少子高齢化で難しくなっていることもありますが、自治会ごとの催しや地域活動、生涯学習の場が活発だそう。こども園、小学校、中学校、商工会、支所、地区公民館、ダム、道の駅、合宿施設、屋外ステージなどがそれぞれワンストップで連携しやすい環境にあります。ちょうど良い距離感も含め、移住者やアーティストも住みやすい地域ではないかと語ってくれました。

アート講座をする様子

アート講座をする様子

移住希望者へアドバイス

アートで旧校舎活用アトリエと地域を繋いできた泊さんに今後の移住希望者へのアドバイスを伺いました。

 

泊さん:場所の移動を考えているということは、自分の人生の何かしらを変えたり、ワンアップさせたいという意識があるかと思います。「移住」というとハードルが高いかもしれませんが、もっとカジュアルに、関わりを持ちはじめるところからスタートしても良いと思います。地域に何かを期待するというより、自分のライフスタイルを軸にして、ワンアップを地域を使いながら試していく…。その中で「地域」とのポジティブな関係が生まれ、最終的には「地域」が楽しくなっていくのではないかと思います。

旧校舎活用アトリエにて、地域の方たちと交流する様子

旧校舎活用アトリエにて、地域の方たちと交流する様子

最後に

ニューヨークで体感したアートを通じて地域と関わる暮らしを実践中の泊さん。アートに関しては未開発な野津原だったからこそ、色々な活動に挑戦できたというお話は、今後アートを仕事にしつつ、移住を考えている人の一助となると思います。野津原の旧校舎活用アトリエでイベントが開催された際は、ぜひ足を運んでアートに触れてみてはいかがでしょう。きっと温かく優しく出迎えてくれます。

WRITER 記事を書いた人

Hinako

大分生まれ、大分育ち。
高校卒業後、経理事務として6年勤務。現在はデジタルマーケティングに携わっている。
趣味は、映画鑑賞、読書、ゲームなど。

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