大分移住手帖

廣岡陵さん

豊後大野市での新しいライフスタイルを模索。半農半Xへの転身と豊かな田舎暮らし

取材 : Kaori ライティング : Misaki

取材者情報

お名前
廣岡陵
出身地・前住所
埼玉県
現住所
豊後大野市緒方町
年齢
36歳(移住時は27歳)
家族構成
妻、子3人
Instagram
https://www.instagram.com/futahiro2532/

大分県日出町出身で、小学生の頃から抱いていた料理人という夢を叶えるために都会へと移り住んだ廣岡さん。京都府や埼玉県で料理人としてのキャリアを積み、現在は豊後大野市緒方町で料理の腕を生かしながら、農業や狩猟にも取り組む「半農半X」の生活スタイルを実現しています。廣岡さんがどのような経緯で移住し、現在の生活に至ったのか、都会と田舎の暮らしの違いや移住後の生活についてお話を伺いました。

家族で佐伯市を訪れた際の1枚

家族で佐伯市を訪れた際の1枚

料理人としての夢を抱え都会へ

日出町出身の廣岡さんは幼少期から自然と触れ合う生活が多く、銛(モリ)を持って川で鮎を獲ったり海で海老を捕まえたり、釣った魚を自分で捌くなど自然と共に暮らしてきたと言います。料理人を目指して2007年に田北調理師専門学校へ進学し、20歳で卒業後、京都府の料亭で研修を積んだのち、埼玉県へ移住しました。

廣岡さん:小学校の卒業文集の『将来の夢』欄に「板前」と書くくらい料理人になりたかった私ですが、水族館で働くことも夢の一つでした。親が大分マリーンパレス水族館(現:うみたまご)に勤めていたこともあり、よく訪れたりバックヤード見学をさせてもらったりしていました。未だに水族館を訪れるほど好きなのですが、全国には水族館の数が限られているうえ、大学院まで卒業しても入社できるかわからないほど倍率が高いので料理人の夢を選びました。

 

専門学校卒業後、なぜ大分県内ではなく埼玉県へ移り住んだのでしょうか。

廣岡さん:小学生の頃は野生児だった私も、中学・高校と進学するうちに友人たちの影響で街へ行くようになり、都会での生活に憧れを抱き、料亭に就職するために京都府へ移り住みました。懐石料理の本場である京都府で働きたかったのですが、埼玉県の店舗へ配属され、埼玉県へ引っ越しました。何人辞めたか分からないほど仕事がキツくて逃げる人も多かったため、実家に帰りにくいように家から離れた店舗へ配属されたのだと思います。職業柄、朝早くから夜遅くまで働いて、家には寝に帰る感じでしたが、休日は川に行ったり山登りをしたり、自転車に乗って東京都の海を見に行ったりしていました。

 

埼玉県の料亭で約4年勤めた後、石垣島で夏の繁忙期にリゾートバイトをしたりピースボートで世界各地を巡ったりしていたという廣岡さん。移住を考えるようになったきっかけは何だったのでしょうか。

廣岡さん:移住を考えるようになった1番のきっかけは、2011年の東日本大震災です。震災直後から1週間ほどは、埼玉県の街中にあるスーパーからほとんどの食料品がなくなり、開店前から客が並んで我こそはと奪い合う姿を目にしました。私自身は飲食店で働いていたこともあり、賄いや店からいただいた食材でやりくりできましたが、自分で調達しないといけない方達は大変だったと思います。お金があっても手に入らない現実に直面し「自分達の食べ物を自分で作れる生活」がしたいと思うようになり、移住を考え始めました。

震災後、駅前での募金活動や炊き出しをしている時に、現地で作業しているピースボートのボランティアを見て世界一周のポスターを思い出しました。当時の私は厳しい修行の毎日を送り、「この生活はいつまで続くのだろう」と悩んでいました。そんな中で、ピースボートとの出会いが仕事を辞める大きなきっかけとなりました。

 

4年半勤めた料亭を辞め、ピースボートのポスターを1枚貼るごとに料金が割引されるキャンペーンを利用して、代金を全額割引にして1人で世界一周クルーズに参加しました。その後、当時お付き合いしていた現在の妻と一緒に、まるで世界一周の続きのような気分で石垣島でリゾートバイトに従事しました。

大分県に一緒に帰りたいと思っていましたが、妻はずっと埼玉で生まれ育ったため、田舎に行く決心がなかなかつかず、埼玉県に戻ることになりました。共に生活していく中で、料理人の給料はあまり高いとは言えず都会で子育てをするには大変なことも多いと感じ、2016年に27歳で結婚と同時に生まれ育った日出町へとUターンしました。

稲刈りの様子

稲刈りの様子

”自然”と”人”に惹かれて選んだ新生活

都会で子育てをするには難しさを感じ、結婚を機に生まれ育った日出町へとUターンした廣岡さん。しかし、最終的に選んだのは日出町ではなく豊後大野市でした。なぜ、その地を移住先に決めたのでしょうか?

廣岡さん:自然が好きだったので、「地元大分県で綺麗な川があり、米が作れる土地」を移住先の条件として探していました。日出町で2年間、知り合いづてに田んぼを借りて米作りを営みつつ別府市の寿司屋で働きながら過ごしていました。ですが、自宅の周りには米を作っている人がおらず、機械がなく水路も壊れているなど、農業をやるには難しい土地でした。寿司屋で働いていたこともあり居住地を別府市に移したのち、2018年に29歳で豊後大野市へ移住し、地域おこし協力隊としての活動を始めました。

 

豊後大野市緒方町を流れる奥岳川には趣味の渓流釣りで何度か来たことがあったので、移住先の候補に入っていました。農場や自然の中でボランティアをしながら、食事や宿泊を提供してもらう「WWOOF Japan」の活動に参加している大分県内のホストを周り、移住先を探していました。候補地はいくつかありましたが豊後大野市へ移住する決め手になったのは人でした。

自給的農業を行うために中山間地域にしたかったのですが、地域について詳しい知り合いがおらず、何も知らない私たちにはハードルが高かったんです。そんな中、埼玉県に住んでいた頃に読んだ移住雑誌に載っていたキッチンウスダの臼田さんに出会い、豊後大野市で生活する方々の住環境や暮らしぶりを見て「ここだな」と決断しました。また、臼田さんに地域のお世話役の方を紹介していただき家探しや移住後の地域との関係作りなど、沢山助けていただきました。

イベント時の1枚

イベント時の1枚

半農半Xの理想的な暮らし

移住前から「半農半X」という働き方がしたいと考えていた廣岡さん。移住当初3年間は地域おこし協力隊として働きながら、休日に農業をしていたそうです。現在取り組んでいる農業や狩猟、飲食店について伺いました。

廣岡さん:「半農半X」は、半分の時間を自給的農業に使い、残りの半分の時間を自分のやりたい仕事に充てるという考え方で、私の場合のXは「料理人」ですね。豊後大野市に移住してからの3年間は地域おこし協力隊として活動しながら、LAMP豊後大野で働いていました。空いた時間で色々な人と繋がり、田舎暮らしのスキルを教わったり経験したりして、知識がゼロの所から地盤を築きました。そして、2022年に店舗を持たず、イベントや出張料理、注文に応じた弁当などを提供するスタイルの「旬喰 ふたひろ」を開業しました。

自給的農業の内容は多岐にわたり、米や野菜の栽培、狩猟、川での漁、山菜採り、鶏の飼育、さらには味噌や醤油の自家製作まで手掛けるようになりました。初めての挑戦ばかりで大変なことも多い中、YouTubeで狩猟について学んだ知識を実践に取り入れることで、自然とスキルが磨かれました。自分たちが食べる分だけを収穫するなら、意外と時間はかからないものです。

そして、ジビエのハムやベーコン、ちょっとした家の修繕や車の整備など、今までお金を払っていたものを自分で賄うことで支出が少なくなりました。今では収入は都会に住んでいた頃の半分以下ですが、逆に生活の質は豊かになったと感じています。自分で育てた野菜や獲ったジビエを食べる幸福感は都会では味わえなかったものですね。

罠猟で使用する罠

罠猟で使用する罠

狩猟はどのように行なわれているのでしょうか?

廣岡さん:猟銃には様々な費用がかかり、歩いて獲物を探す手間や時間も必要なため、銃を使わずにできる罠猟を選びました。罠猟は設置しておけば、朝確認に行くだけで良いので、時間の使い方としても自分に合っているんです。罠猟には「わな猟免許」が必要で、年に1回大分県豊肥振興局などで試験を受けることができます。免許取得後、いざ実践しようとすると、心苦しくて仕留めたり締めたり、捌いたりできない方が多いですが、YouTubeで学べるのでやる気さえあれば難しくないと思います。

1週間ほど仕事が入ってない時に罠を仕掛け、毎日確認しに行っています。解体がとても大変で、時間と鮮度によって味や食感が変わってしまうので、仕事のない日を選んでいます。鹿肉は美味しいだけでなく体調にも良い効果があり、便秘が改善されたり、食欲が増したりするんですよ。鹿や猪を獲るようになってから噂が広がり、大分県豊肥振興局のジビエ料理教室などの話をいただけるようになりました。

 

インタビュー中、鶏が外を散歩していました。道の駅で手に入れた有精卵の1羽と岡崎おうはんという卵肉兼用種である鶏を孵化させた5羽を放し飼いで育てているそうです。これも半農生活の一環で、食料自給を目指しています。また、山羊も飼っていて、草を食べてくれるため、畑の手入れにも一役買っているそうです。

飼っている鶏と戯れる廣岡さん

飼っている鶏と戯れる廣岡さん

地域とのつながりと共同作業

移住後の家探しや生活環境、地域の方との関わりについて伺いました。

廣岡さん:最初に借りた家は、雨漏りでキッチンの床が抜けているような状態で大変でしたが、修理を頼むのではなく自分でDIYして住み続けました。今思えば、その経験がDIYの基礎を学ぶ良い機会になりました。また、地域に馴染んでいくと自然と空き家の情報が入り、今住んでいる家も同じように紹介してもらいましたが、大きな改装はせずにそのままの状態で住んでいます。ただ、田舎暮らしでは草刈りが欠かせません。夏は特に大変で、家の周りだけでも月に2回は草を刈らないといけませんし、田んぼを含めると毎週草刈りが必要です。そうした作業も田舎ならではの大切な仕事だと感じています。

地域のマルシェなどに参加すると他の移住者と繋がる機会が多く、話が合うことや価値観が似ていることから、移住者同士での付き合いが自然と増えます。私が住む地域では、移住者を「よそ者」として扱うことなく、非常に温かく迎え入れてくれました。地域のお世話役の方が地元の方々を集めて歓迎会を開いてくれ、すぐに名前を覚えてもらえたのが嬉しかったです。人との距離感も程よく、接し方も柔らかいですね。ただ、これは地域によって違うかもしれません。ここでは共同作業や自治会活動も盛んで、草刈りや神社のお祭りの準備、しめ縄作りなど、予定が合う時に参加しています。

 

実際に移住してみて良かったと感じること、大変だったことはありますか?

廣岡さん:良かったことは、やっぱり食べ物や水、空気がすごく美味しいことです。子どもたちも地域の学校に通っていて、コミュニティバスで毎日楽しく通学しています。

大変だったのは、水道管理ですね。山間部では水道が共同で管理されていることが多く、パイプの破裂や雷によるモーターの故障で、水が出なくなることが頻繁にあります。一つ向こうの山からパイプを通して水を引いていますが、水が出なくなると、2日ほど止まることもあります。その際には近隣の住民や同じ水道組合の人たちと協力して修理します。幸い、汲みに行ける水源が多くて、全く水がなくなることはないのでなんとかなっています。

自宅の裏側の様子

自宅の裏側の様子

移住希望者へアドバイス

これから移住を考えている人にアドバイスはありますか?

廣岡さん:まず、気になったエリアには実際に足を運んで、地域の人たちと積極的に繋がることをおすすめします。観光で見るだけでは分からない、その土地のリアルな暮らしぶりが見えてきますし、人との繋がりを作ることで、移住後の生活もスムーズに進むと思います。

田舎暮らしには独自の役割や共同作業があります。最初は少し面倒に感じるかもしれませんが、地域に溶け込むためには大切なことです。積極的に参加して、名前を覚えてもらうことで、地域とのつながりが深まっていくのではないでしょうか。

 

移住するときにお世話になった人や、使った制度があれば教えてください。

廣岡さん:臼田さんや地域のお世話役の方には特にお世話になりました。お世話役の方は市役所勤めとかではなく一般の方なのですが、地域の空き家情報などにとても詳しく、その方のおかげで既に4組ほどがこの近くに移住してきています。さらに、もうすぐ新しい移住者も来る予定です。

移住時には、改装費などの支援制度もありましたが、手続きに時間がかかるうえに、空き家バンクに登録していないと利用できないものが多く、私自身の条件には合いませんでした。条件が合う方は、ぜひ活用してみてください。

飼っている山羊

飼っている山羊

最後に

廣岡さんの田舎暮らしは、単に自然の中でのんびりと過ごすだけではなく、自分の手で生活を作り上げ、地域とのつながりを大切にすることで得られるかけがえのない日常なのだと感じました。廣岡さんの「半農半X」のライフスタイルは、現代の忙しい都市生活に疑問を感じている人々にとって、これからの生き方のヒントになるかもしれませんね。

WRITER 記事を書いた人

取材 : Kaori ライティング : Misaki

取材 : くろき かおり
豊後大野生まれ豊後大野育ち。高校卒業後は横浜・東京にて、外資コスメ会社で経営学・マネジメントを学ぶ。その後、石垣島・オーストラリアへの移住。オーストラリアでも同ブランドで勤務したのち、2019年に大分へUターン。趣味は映画を見ること・旅行・サウナ。

ライティング : あべ みさき
介護福祉士として働き、長男出産を機に退職。現在は、子育てをしながら在宅でライターとして働いている。趣味は手芸。

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