大分移住手帖

辿り着いた場所は天国だった。竹田の自然と人の繋がりから紡がれる温かな暮らしと音楽

Hiiro Okuda

取材者情報

お名前
高石純二・柳春菜
出身地・前住所
福岡県福岡市
現住所
大分県竹田市
家族構成
パートナー同士

北九州市出身で、様々なタイミングが重なり、福岡県福岡市から大分県竹田市に移住することになった高石純二さんと柳春菜さん。お二人は現在、自然溢れる竹田だからこそできる暮らしを実現しつつ、ミュージシャンとして活躍されています。

純二さんは竹田市での暮らしを「まさに自分にとって天国」と表現し、『made in heaven』という竹田暮らしを歌った曲まで制作されました。

お二人が竹田市に移住するに至った経緯や、日々の暮らしの中で感じていることなどを、これまでの人生を辿りながら伺いました。

リノベーションした空間で話を音楽を楽しむお二人

リノベーションした空間で話を音楽を楽しむお二人

福岡のミュージシャンが竹田に。どんな暮らしをしているの?

竹田市の城下町から車を10分ほど走らせた、田んぼや畑が広がり竹林が見える場所に純二さんと春菜さんは住んでいます。

純二:一目惚れして購入した、築120年になる5DKの古民家を改修して暮らしています。家の畑に植わっている果樹から果実を採ったり、ニラを採って食べたりと、田舎の庭付きの一軒家での暮らしを存分に味わっています。

仕事は音楽活動をしながら、林業もしています。都市にはない仕事に就きたいと考えていたところ、先輩移住者で現在市内に住む革作家の小河眞平さんに紹介してもらいました。早朝から現場に向かい、植林、草刈り、間伐などの作業を行っています。

林業に携わるようになり、風や陽の光、鳥や鹿など自然の生命を直に感じられるようになりました。やはり自然の中はとても居心地がよいですね。山での草刈りやチェーンソーの扱いは危険なうえに重労働でかなり足腰も使うので大変な面も多いのですが、徐々に体力がついてきたなと実感できるのも嬉しいです。

林業の仕事に取り組む高石純二さん

林業の仕事に取り組む高石純二さん

春菜:私も音楽活動を続けながら、市内にある高校で英語を教えています。ほとんどが地元出身の学生と先生の中で働いているのですが、皆さん穏やかな良い方ばかりで、移住者でも関係なく受け入れてくださっています。移住前は、ご近所や職場の人たちと関係性を築いていけるかと少し不安があったのですが、問題なく楽しく暮らせているので、大きな安心に繋がりましたね。

朝起きてすぐに聞こえる虫の音や、竹が風で揺れる音は、人や交通量の多い福岡市で暮らしている時には感じることのできなかったものでした。空気や水も美しく、豊かな自然の中で暮らしていることを体感する毎日です。

英語を教える柳春菜さん

英語を教える柳春菜さん

現在とは大きく違っていた都会での暮らし

田舎での暮らしをじっくりと楽しみながら過ごされているお二人。竹田市に移住する前はどんなことをされていたのでしょうか。

春菜:移住前は福岡市に住んでいたのですが、大学卒業後は愛知県の自動車会社に就職して、アジア担当としてシンガポールでも暮らしました。その後デザイン会社を立ち上げ運営したのですが、だんだん日本の教育システムに疑問を持ち始め、教育の現場で働けるよう教員免許を取得しました。

福岡市で暮らしていた頃は教員をしながら音楽活動に取り組み、充実した毎日を過ごしていました。学生の頃から社会人になっても作曲は続けていて、楽曲をリリースし始めたのもその頃からです。

住まいは持ち家のマンションで一人暮らし。当時は純二さんとは別々で生活していました。

音楽制作の場でもあった春菜さんの福岡の家

音楽制作の場でもあった春菜さんの福岡の家

純二:二十歳の頃から路上、ライブハウス等で歌っていました。三十代半ばから自分で企画もするようになると、他のイベントに呼んでもらえることも増え、徐々に仕事になっていきました。

その企画した音楽イベントで出演依頼をしたのが、現在竹田市で暮らしている古賀小由実さんでした。当時竹田市のことは全然知らなかったので、これが最初のきっかけでしたね。

竹田での初ライブ。古賀小由実さんと。

竹田での初ライブ。古賀小由実さんと。

移住のきっかけは突然に。竹田市を「知る」から「体感する」へ

福岡市で日々の暮らしを満喫していたお二人。どのようにして竹田市に移り住むことに決めたのかお聞きしました。

純二:竹田市を最初に訪れるきっかけになったのは、2022年6月に今度は古賀小由実さんの方から、僕にpaisanoでの音楽イベントの出演依頼をいただいたことでした。

お客さんにはギター職人、ラッパー、米農家、カレー屋さん、シェアハウスのオーナーなど自分で何かをされてる人たちがたくさんいました。移住者が多かったので、竹田暮らしの生の声を聞くことができたんです。そこに集う人たちや、日々の営みの様子がとても魅力的に感じられました。

春菜:純二さんと一緒にそのイベントに遊びに行ったのが、最初に竹田市を訪れるタイミングでした。古賀小由実さんとはそこで初めて出会い、すぐにハグしてくれたことを覚えています。滞在中に出会う人たちはみんなとてもオープンで優しい雰囲気でした。

コロナ禍による生活の変化をきっかけに車を持つようになり、田舎暮らしに踏み出せたらと思っていました。当時は家で過ごす時間ができ、石鹸作りやキムチ作り、コンポストやベランダ菜園など、むしろ家にいたほうが好きなことを追求できると感じながら過ごしていたんです。

近所の八百屋さんで販売していた手作り無添加キムチ

近所の八百屋さんで販売していた手作り無添加キムチ

春菜:そんな中で「こういう楽しさは、自然豊かな場所での方がもっと深められるんじゃないか」と思うようになったんです。「自然回帰していく」という自分の中にあった感覚を実現させるための場所を探す流れになりました。

福岡県内の自然豊かな場所での田舎暮らしを視野に移住先を探していたのですが、あまりピンとこなかったんです。暮らしている人やコミュニティーの雰囲気も大切だと思って探していたので、竹田市の皆さんと交流した時に「ここなら暮らせるかも」と直感しました。

理想の「梅の木がある家」との出会い

竹田市に心惹かれ始めたお二人。ある物件との出会いが、お二人の今の暮らしにつながったそうです。

春菜:イベントをきっかけに訪れた竹田市での時間は本当に素敵で、私たちの心に強く残るものになりました。学校で働けたら住めるかなとポロっと言った一言で、古賀小由実さんが学校の仕事を紹介してくれ、その時に一緒に物件まで紹介してくれたんです。

仕事の面接と物件の内覧をするため、竹田市に再び訪れることになったのが2022年8月。同市のライブに遊びに行ってから約2ヶ月後でした。

純二さんも古賀小由実さんと楽曲制作をするということで、同じタイミングでまた竹田市を訪れました。当初は私が一人で暮らせるお家を探す予定だったのですが、二軒回ったうち、梅の木が生えていた一軒を純二さんが気に入ってしまって。(笑)

当時のことを楽しそうに話す

当時のことを楽しそうに話す

純二:実は、当時の自分の夢のひとつに「梅の木がある家に住む」というものがあったんです。都会暮らしをしながら、僕はフリマアプリで梅を買って、毎年漬けていました。もしも自分の家の庭で育った梅を自分で収穫し梅干しを漬けられたら、楽しいだろうなぁと想像していました。

そうしたら!立派な梅の木があったんですよ、竹田市の家に。しかも、その家は広々とした素敵な作り。

ここで暮らしたいと感じ、「一緒に住まない?」と春菜さんに声をかけている自分がいました。実は、元々誰かと共に暮らしたいと望んでいた訳ではなかったんですが「ここでなら」と《2人の暮らし》がイメージできたんです。

移住を決意させた梅の木の下で

移住を決意させた梅の木の下で

日々暮らしを作るということを実感する

竹田市に移住して丸2年が経ったお二人が、実感していることや影響を受けたことを聞いてみました。

純二:ここ竹田市で暮らしてみて、まさに理想の地に辿り着いたのだと実感しています。

竹田市の暮らしでどこが天国なのかと聞かれると、まずは自然との関係性。日々、木々や草や花や虫に囲まれ、鹿や猪や小動物に出逢ったりします。急斜面での草刈りや間伐など一歩間違えば命を落とすような場面は都市では経験したことがありません。この歳になって「命懸け」という意味をようやく知り、それが人前での演奏や表現にも良い影響をもたらしてくれています。

周りの人たちとの繋がりも温かい。水と自然の豊かさに惹かれ、移住してきた人たちとの共感。この1年半でたくさんの友達ができました。お隣のおばあちゃんから野菜をもらったり世間話をしたり、自治会の草刈りに参加したりする中で、地域の方たちとの繋がりも感じています。敬老会で演奏をする機会もいただいたんですよ。福岡から移住してきたと話すと、「竹田での暮らしはどうかね?」とよく聞かれるのですが、いつも「最高です。理想の暮らしにようやく辿り着けました!」と答えています。

そして、今の住処。杉板の床に、漆喰の壁、薪ストーブ。僕は薪ストーブが大好きなのですが、それは伐採された木々を自分で調達して暖をとることができるからなんです。自然エネルギーの循環の役割を担えていると実感できる瞬間ですね。

日々部屋を温めてくれる薪ストーブ

日々部屋を温めてくれる薪ストーブ

こういう暮らし…世界を、音楽で表現したいという思いから作った曲が『made in heaven』です。歌詞でもストレートにこの暮らしを表しましたし、音も竹田市で触れる風や森の音を感じてもらえるようなものになっていると思います。同市に住んでいる友田野乃さんというカメラマンにお願いしてプロモーションビデオも作ってもらいました。ぜひ見て欲しいですね。

 

https://youtu.be/EPDARNGV3FM

 

春菜:このお家に住んでから、下水はなく生活排水が目の前の竹林に流れていたりと、自然の循環がくっきりと見えるので、より環境を意識して暮らすようになりました。

資本主義で効率化に寄っている現代ですが、竹田市での暮らしの中では人との繋がりで暮らしが生まれていく感覚もあります。私も、石鹸作りや英語、音楽などを近所の人たちに教える機会をもらっています。その人その人が持っている知識や技術をお互いに教えあい、学び合いながら循環していく形ができているのが素晴らしいですね。

音楽の発表の機会もたくさんもらっています。移住してきてたった1年ほどですが、私たちのライブイベントに人柄を知ったお客さんが詰めかけてくれる。自分たちの居場所があることを実感しながら暮らせています。

paisanoでのライブでは会場に人が入りきらず、路上にも人があふれた

paisanoでのライブでは会場に人が入りきらず、路上にも人があふれた

メッセージ。心地いいは体が知っている

竹田市で充実した暮らしをされているお二人に、移住を検討している方へのメッセージをいただきました。

純二:古民家で畑をやりながらのんびり田舎暮らしというのに憧れる方もいると思うのですが、実際は、古民家の手入れが大変だったり虫がいたり、冬はまあまあ寒かったりと様々な困り事もあります。薪ストーブを使うにも木を調達して割る必要があり、とても手間がかかります。自治会の草刈りも夏は定期的にあったり、地域によっては集会も頻繁にあるかもしれませんね。

それでも自分で手をかけることに生きがいを見出せたり、ご近所さんとのコミュニケーションに新鮮味を感じたり。都市では当たり前だった心地よい暮らしを手に入れるための労力は断然かかっていますが、竹田市に来てからの方が圧倒的にメリットを感じることの方が多いです。

僕と同じような感覚の方はきっといると信じているので、一度移住してみてはと思います。

春菜:自分にとっての「心地良い」は頭でも心でもなく、体が知ってると思います。

温泉や湧水など、自然の力で治癒する術が豊かにある竹田市での暮らしは、体が本当に心地よいんです。暮らしをするということは体を労るということ。まずは暮らして、体感してみてほしいです。

私たち二人は手を動かすのが好きなので、特に暮らしを自分たちで作っていくのが好きな人はこの地への移住が向いているんじゃないかなと思います。

竹田に来てから数えきれないほど素敵な出逢いがあったと語る

竹田に来てから数えきれないほど素敵な出逢いがあったと語る

最後に

都会での暮らしが長かった純二さんと春菜さん。自然の中で手にしたのは、暮らしを自分たちで作っていくことの大変さと豊かさでした。これまで培ってきた音楽や手仕事が、竹田市に住むことによって、また新たな形となり昇華していっているような印象を受け、私も新たなことにチャレンジしてみたくなりました。自然の素晴らしさや、温かい人たちのエネルギーに触れてみたい方、田舎暮らしの背中を押してもらえるきっかけを探しに、ぜひ竹田市に遊びに来てくださいね。

 

お二人のInstagram

高石純二さん:https://www.instagram.com/takaishijunji/

柳春菜さん:https://www.instagram.com/harunayu_songs/

WRITER 記事を書いた人

Hiiro Okuda

大阪生まれ、大阪育ち。アパレル、動物看護師、服飾系専門学校の担任&学科運営、東京での音楽活動など様々な経歴あり。旅先での人との出会い、交流が好き。移住先探しも兼ねて九州を周りはじめ、最初の目的地だった竹田を気に入り移住を決意。大分の自然と食、温泉、人のあたたかさがとても気に入っている。

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