大分移住手帖

小倉生まれ渋谷育ちの自由人。紆余曲折しながらも自分で切り拓いてきた先に出会った日田でカフェをオープン。カフェ、内装、デザイン、配信を事業化しながらカルチャースポットを企みつつ、自分らしく暮らす日々。

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「しゃーしー」とは北九州文化のある周辺で使われる言葉で、「騒がしいなあ」というニュアンスの意味。この文化圏で生まれ育ち、親の転勤で大都会東京渋谷で青春時代を過ごしてきた永田さん。紆余曲折しながらも自分らしく生きてきた彼が今選んだのは日田の町でした。昔ながらの文化が残るこの町で、自然と町をうまく楽しみながら、「HAZEBO COFFEE」を中心にカルチャースポットを作りつつ、自分サイズで日々を楽しむ彼の移住秘話とこれからの暮らしについて伺いました。

「小倉で生まれ、渋谷で育ち、ロンドンではDJデビュー。レゲエ三昧だった青春期に27歳で独立しつつも、紆余曲折し31歳で一度音楽を断つ。」

永田さんは、小倉生まれ、ご両親の仕事の関係で大阪、東村山、埼玉と転々として、小学5年生の頃に東京渋谷区に引っ越しました。90年代の渋谷はとても煌びやかで賑やかでしたが、中学に上がってからは「おっかないお兄さんたちがいっぱい居て恐かったなぁ〜」という印象だったそう。その後、ヒップホップやスケボーと一緒に、クラブ文化も流行っていました。

「20歳のころ、大学に行かないなら海外でもいけばと親に背中を押してもらって、即決で2年ほどロンドンに行ったんです。DJとしてはむしろそっちでデビューしましたね。イギリスもレゲエが盛んだったのでハマったのはその頃。

ロンドンでは真面目に学校に行かなかったので結局英語はそこそこに、遊び尽くして23歳で日本に帰ってきました。ゲーム会社を手伝ったけどすぐ辞めて。その後は、ロンドンにいく前に手拭い屋で営業をしていた経験を生かし、親がアパレルの会社を経営していたので、そこに入れてもらって営業をやりました。でも結局音楽に携わりたくて4年目で退職。27歳から独立しました。」

奥さんは当時、東京横浜レゲエシーンで有名なお客さん!近所に住んでいたのがキッカケで仲良くなったそうです。DJだけでは生業にできなかったけれど、年間250日くらいはDJ漬けだったそうです。

最初は笹塚でレゲエの若手アーティストがCDを作る上での録音(プリプロ)などを行うスタジオを自宅で2-3年やりながら、常に感覚と即興とセンスを求められるプレッシャーに徐々に行き詰まっていたこともあり、31歳の時にこれまで収集してきた20000枚のレコード音源を全て処分して完全に退路を絶って辞めたそう。

「レゲエを辞めて、手探りで弁当屋や広告代理店などをしている中で2011年を境に“本当にこれでいいのか?”と思った。」

レゲエをスパッと辞めた後は裸一貫。キャリアはないけれど、家にはキッチンがある。と、叩きあげの飲食経験はないけれど弁当屋をやろうとふと思ってやってみたそう。

恐る恐る10個から始めたらこれが結構売れてあっという間に毎日110個も作るほどに。

月商150万の成績を半年ほどで達成しましたが、周辺のお弁当屋さんとの関係もあったのでやめざるをえず、従兄弟(現在は電通へ出仕)とwebの会社を作りました。

アパレル時代にAdobe(デザイン系ソフト)は多少使えたので、広告代理店の真似事みたいなこともしていましたが、2011年を境にビジネスは割とうまく行ってたけれど、色々物足りなくなってて「本当にこれでいいのか?」と思うようになったそうです。

「旅先の朝日夕日の綺麗さ、家族との食事っていうのはお金では買えない、ホンモノはタダなんだなあと。東京なら無農薬きゅうり1本何百円。でも九州野菜を取り寄せたらみたこともないような美味しい野菜が同じ価格でたっぷり届いてびっくりしましたね。」

その頃から土にも興味が湧いて、「Earthbag house*」を知ったそう。建築物として認められていない家で、地球上にいれば誰でも建てられるもので、伊豆で行われていたワークショップに参加したことも。徐々に自然やその産物に触れる中で、ある日ワークショップ中に見た満点の星空に感動し、田舎暮らしで自由にやりたいなあと強く思ったそうです。

Earth bag house

建築構造の一つである。土を詰めた土嚢袋を、家の形状に積み上げていく事で建造する建物や、その工法を指す。

photo by 佐藤和彦

 

「両親が空き家バンクを利用して先に日田に移住。そこを拠点に移住先を探し始める。」

2011年に空き家バンクで良い物件を見つけ、先に両親が日田に移住。永田さんもそこを拠点に九州の移住先を探し始めました。

「僕はなんの考えもなしに来たんだけど、日田は福岡空港から車で1時間、大自然も近いし、欲しいものは近くである程度手に入るのが便利だなあと思いましたね。」

両親が空き家バンクで手に入れた家がすぐに住めるような状態ではなくかなり手を加えないとならない物件だったそう。Earth bag houseの現場に土嚢建築士として手伝いにいきながら本職の大工さんのお仕事を横目で訓練させてもらっていたので、腕試しのつもりで改装を自ら名乗り出たそうです。

「伊豆のワークショップで出会った講師の方が大分の方ということもあったり、宇佐で開かれたワークショップの時はコーチという立ち位置で参加したことも大分が身近に感じる大きなキッカケでした。

畑とか無農薬とか自給自足を調べたりしながら、このエリアで存分に実験していきたいと期待していたのですが、頭で想い描いていたような農家への道は程遠く、程なくクワを置き、また何もなくなってしまったんです。」

しかし、そこは日田。

古くからこの地は水郷と言われてきた歴史を持ち、周囲をぐるっと山で囲まれた盆地には良質な水が注いでいます。その美味しくて滑らかな水を用いて新鮮な焼きたてコーヒー豆から抽出した一杯は格別なのでは?

と始めたのが、HAZEBO COFFEE。ここからコーヒー屋さんとしてのキャリアが始まります。最後に残った貯金で作ったコーヒートラック。これがお店の原点でした。

「スペシャルではなく、デイリーなスタイルに変えていきたくてHazebo Coffeeを店舗としてオープン。」

順調に進んでいたのも束の間、3年前の災害でイベントが一気に無くなりました。コーヒートラックはイベントがないと商売ができないので、そのタイミングで特別な時だけではなくて日常的なデイリーな営業スタイルに変えて行きたいと思って探していた時に現在の物件に出会います。

コーヒートラックから始め、HAZEBO COFFEEとしては6年ほど、お店としては3年ほど経ちました。コーヒートラック時代にはまだ子供はおらず、当時はお店のロゴにもなってるブルテリアのガンモちゃん(愛犬)がいたそう。

やがて子供もできて、現在4歳と2歳。奥さんはファッション系の学校を出ていますが、以前ベイカーさんとして働いていたそうで、焼き菓が上手で、お店は永田夫婦とアルバイトスタッフが3名で切り盛りしています。

「色々企んでいるのは、自分の人生のタイムリミットに気づいたから。」

実は、店を開けて3ヶ月した時に顔面神経麻痺を起こし、顔半分が動かなくなった永田さん。その時に自身の限界に気づいたそうです。

「店を始める前、貯金で色々やってた頃は、誰かが困ってたら助けに行ける余裕がありました、働き出して、日々作らなきゃいけないお金が定まった時点で自由が無くなったんですよね。助けに来てと言われても行ってやれない自分が情けなくて、もう少し生活に余裕があればお助けマンとして仕事抜きで行ってあげられる。今は仕事を絡めないといけない。それが大人として普通なのかもしれないけど、嫌だなと思ってて、そこから脱却するために、いくら必要なのか考えて今は生きています。」

次のゴールは不動産取得とのこと。趣味と実益のかなう内装の仕事にも絡むし、不労所得が助けてくれたら出来た余裕をおすそ分けできるかもしれないと考えているそうです。

「綺麗にかっこよく内装をすれば魅力的な物件を産み出していけるので、まちづくりにもニーズのある分野だと信じています。1ヶ月自由にやっていけるような収入が出来たとしたら、無償で困ってる友達のために仕事をしてみたいと思ってもいて。損得のない小学生みたいな頃に帰れたらなと。何よりも、田舎暮らしの最大の醍醐味は“自然で遊ぶこと”。そういう余裕を保つために今は頑張っています。」

「子供も遊ばせられるサブカルチャースポットを計画中。若手がチャンスに巡り合えるのは地方ならでは。」

新しい場づくりを始めている永田さん。前身でもあるカフェが主軸ですが、楽曲制作やレコーディングもできるような、広い空間を生かしたギャラリー兼ライブスペースでもある自由に発想でき、加えて子供のホスピタリティも兼ね備えたような場所を作ろうと奮闘し始めたところだそうです。

「脱都市をする上で色んなもの捨ててきたのですが、それはそれでありのままじゃないんだと気づけたんです。自分のアイデンティティを失うと変な心のモヤモヤが出てきますよね?だからみんながいつもまでも自分のままで居てもいい、そんな不思議な空間をつくりたいんです。」

ロンドンにいた頃や東京でのこと、ネイチャー系のことなど未来につながる過去の集大成を社会貢献に繋がることでやっていきたいとのこと。

都市で培ってきたカルチャーや、都市にいたからこそ見いだせる“ネイチャー”を提案すること。現場でみてきたリアルな経験で地元文化の発展に貢献したいと考えているそうです。

「なぜ町から人が出ていくのか。何が足りないから出ていくのか。その一つにはサブカルチャーが少ないからでは?とも思うんです。
一見無駄に見えてもワクワクするような「何か」。
あったらそこに行きたい「何か」。
街が刺激を満たしてくれると思ってた時代を経た今、地方に感じられるようになったワクワクやドキドキ感は何が元になってるのでしょうかね。いつの間にか価値観が逆転していて、制限のない田舎暮らしにむしろ憧れて、気がついたら「街」よりも「町」を選んでました。
村ではなく、町。
このサイズ感が今の僕には心地よいですね。ちょうど良い人との距離で、ちょうど良いモノの数にふれ、ちょうど良い場所に着地できたと思っています。」

「街では当たり前だったスキルが、地方では特殊スキルかもしれない。日田には若手にこそチャンスがある。」

街ではありふれたスキルだったことも、地方にくると特殊なスキルと見なされることもしばしば。だからこそ、ここには若手にこそチャンスがあると語る永田さん。

「沢山やることがあるし、以前より労働対収益は低いけれど、経験や信頼がそのぶん報酬として得られるんですよね。

目の前に広がる自由なフィールドをいつかその手に掴みたいなぁ、と思えば思うほどその全ての過程の1ページ1ページが本当に掛け替えのない積み重ねだと今は思います。そんなストーリーのページを楽しんでめくっていける自信のある皆さんは是非大手を奮って移住してみたらよいと思います。アートやカルチャーで自分の周りから自分の居心地の良い場所を作って自分らしい人生を歩んでみてほしいです。そのための先輩はもちろん紹介しますよ!」

 

*サブカルとは

サブカルチャー。メインカルチャーと対比される概念。
1960年代から70年代前半までは反体制的なカウンターカルチャーが主流だったが、70年代後半以降、形骸化・商業主義化し、サブカルチャーに変質していったとの見方もある。 サブカルチャーは「サブカル」と略されることも多い。

参考:

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%96%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC

 

■最後に

日田のサブカルチャー・ストリート文化を盛り上げるには今がチャンスと語ったケンくん。青春期に多様に経験してきたからこそわかる“人が無意識に惹かれるモノコトヒト”。HAZEBO COFFEEにも大家さんと一緒に選んだという絵本が並んでいたり、インタビュー中も町の人がひっきりなしに来てはいろんな企ての話をしたり、横に座っていたお客様がカフェの魅力を私に語ってくださったり。カフェの2Fには貸しオフィスも作っていて、そこの照明が夜ポッと灯ると安心するという町の人の声も。彼が作る場が心地よくてついつい会いにいきたくなる要素は、カフェで美味しいカフェラテを頂いている間だけでも五感で感じることができました。ぜひ日田ビギナーの方はHAZEBO COFFEEのケンくんやスタッフの皆さんに会いに行ってみてくださいね。

 

*サブカルとは

サブカルチャー。メインカルチャーと対比される概念。

取材者情報

お名前
永田健(ながたけん)
出身地・前住所
出身地:東京都渋谷区
前住所:東京都渋谷区
現住所
日田市田島本町
年齢
41歳
家族構成
4人
職業
自由業
Webサイト
http://hazebo.com/

PHOTO

  • 小倉生まれ渋谷育ちの自由人。紆余曲折しながらも自分で切り拓いてきた先に出会った日田でカフェをオープン。カフェ、内装、デザイン、配信を事業化しながらカルチャースポットを企みつつ、自分らしく暮らす日々。
  • 小倉生まれ渋谷育ちの自由人。紆余曲折しながらも自分で切り拓いてきた先に出会った日田でカフェをオープン。カフェ、内装、デザイン、配信を事業化しながらカルチャースポットを企みつつ、自分らしく暮らす日々。
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FACILITIE

老若男女が立ち寄る町のカルチャースポット"Hazebo Coffee"

営業時間 9:00 - 18:00

Hazebo Coffee

大分県日田市田島本町5-33

WRITER ImaiTomomi 記事を書いた人

Tomomi Imai

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snufkiins LLC. 代表社員
離島移住計画 代表
Re-harmo PJ オーナー
25歳でフリーランスとして独立し、多様な分野にてプロデュースやディレクター業を経験。モノコトヒトをつなぐひと。多様な伴走を得意とする。国内外問わず事務局代行・企画編集など多様な業界を経て2018年に法人化。長崎県上五島にてキャンプ場兼カフェ「Re-harmo PJ」を展開し、島に仕事や場を作ったり。絶賛子育て中。ヨガ・サーフィン・音楽・映画・コーヒー・日曜大工が趣味。

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